大人たちの事情で「甲子園の夏開催」が続いている

ご存じのように、炎天下の中で行われる夏の甲子園は予選から選手、観客が熱中症でバタバタ倒れている。この大会出場を目指した炎天下の練習では、時に死者まで出るような悲劇も起きている。そのため一部から「秋開催」や「ドーム開催」に変更すべきという意見が出ているのだ。また、1人のエースが連投しなくてはいけない過密スケジュールや、肩がぶっ壊れるまで投げ切るということが「高校球児らしい」という選手生命軽視カルチャーも問題になっている。

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しかし、「甲子園の夏開催」をやめようという話にならない。

「秋にしたら子供たちの授業のスケジュールが」とか「夏の甲子園は球児の一生の思い出だ」とかいかにも「球児ファースト」っぽい理由が叫ばれるが、なんのことはない実は「甲子園ビジネス」をしている大人たちの事情が強い。

主催社の朝日新聞社、生中継するNHKをはじめ多くのメディアにとって「夏の甲子園」は「感動のドラマ」によって、チャリンチャリンとカネを生み出す一大スポーツコンテンツだ。ゆえに、その価値を下げるような開催時期や舞台設定の変更は断じて認められない。

夏ではないと全国に知らしめる「宣伝効果」が半減

甲子園の「価値」を下げたくない大人は他にもいる。これまでのプロ野球のスターたちを見れば一目瞭然だが、甲子園は球界の「スター誕生」的な機能を長く担ってきた。この舞台で全国的な注目を浴びて、「伝説」をつくった少年は、ドラフトの目玉となり、入団したチームの入場客数やグッズ販売にも大きな影響を与えてきたのだ。

また、少子化に悩む高校にとっても「夏の甲子園」はなくてはならない。大阪桐蔭のように、全国からスポーツエリートを集める私立高校にとって、「甲子園出場」や「スター選手の母校」という実績が、入学希望者を増やすブランディングになることは言うまでもない。

「秋開催」では、受験生やその親へのPRのタイミングとしては遅すぎるし、何よりも子どもたちは学校に行っているので、試合をリアルタイムで観戦できない。高校名を全国に知らしめる「宣伝効果」が半減してしまうのだ。

つまり、「球児ファースト」と言いながらも、炎天下の最悪のコンディションで大会を開催するのは、実は「夏の甲子園」という舞台装置が動かす巨額マネーによるところが大きいのだ。

と聞くと、何か似ていると気づかないか。そう、五輪だ。

オリンピックが猛暑の時期にフィックスされているのは、大スポンサーである米テレビ局の都合が大きい。この時期、米国内のテレビはスポーツコンテンツが少ない。「閑散期」に五輪をハメ込むことで、スポーツ好きの視聴者をテレビにつなぎとめたいという皮算用がある。「秋の五輪」ではなく、「夏の五輪」ではないと儲からないのだ。