義実家のトイレはくみ取り式、台所にはハエ取り紙が

家を建て直すということは、古い家を解体しなくてはならない。そして解体する前には、必要なものを運び出し、不要なものを処分するという、「片付け」が必要になる。

義父は、旧国鉄を定年まで勤め上げた後、数年間別の会社で働き、その後は義母と一緒に農業にいそしんできた。

農家の出で若い頃から畑仕事が大好きな義母は、朝から晩まで畑にいて家事は二の次。料理は好きではなく、洗濯だけは好きなようで、毎日洗濯板や二槽式洗濯機を使って洗濯をしていた。

築50年超の義実家は、平成の時代にあって、お風呂は薪で沸かし、トイレはくみ取り式。土間続きの板の間に正座して食事し、台所にはハエ取り紙がぶら下がっていた。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Pavel Gerasimenko)

水道が通っていなかったため、敷地内の井戸から、電気ポンプで地下水を組み上げて蛇口から出てくるシステム。開かずの間に詰め込まれたタンスや長持ちは空っぽで、衣服は大きなゴミ袋に詰め込まれ、服はその中から引っ張り出して着ている。天井では昼夜問わずネズミが運動会をする音が聞こえ、玄関にインターホンはもちろん、鍵さえなかった。

確かに、こんな家で暮らしたくはない。ましてや高齢の義両親と同居となれば、せめて生活環境くらいは自分が暮らしやすいように整えたい。

知多さん夫婦は新幹線で何度も通い、高齢の義両親に代わって片付けを開始。近所に住む夫の弟たちも手伝ってくれた。

しかし、義両親は何でも「とっといて」と言うため、不用品を処分するときは、2人の目に触れないように気を使わなければならなかった。

家の中には、50年以上前の雑誌、夫たちが赤子の頃使ったであろうタライ桶、5つ玉のそろばん、戦時中のものと思しき軍服色の水筒。そして兼業農家のため、一般家庭にはないような農耕具やリヤカーなどが山のようにあった。

「新幹線で数時間かけてきて、軍手をはめ、マスクをつけての作業は、本当に大変でした。だんだん『何で私が……?』と思えて、涙が出てきたほどです。でも、『人のふり見てわがふり直せ』ですよね。将来、私たち夫婦の荷物で娘が困らないようにしなくちゃ! と思いました」