「曲を通して彼とやりとりしている気がする」

旭が逝って5年になる。その存在は今も同級生たちの中に大きな位置を占めている。私が取材の中で拾った彼らの言葉である。

小倉孝保『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』(KADOKAWA)

「自分が医師を目指すようになった動機に、間違いなく旭が作用をしています。彼のような病気の子を一人でも多く救えたらと思っています」(吉田幸央)

「医学部を志望したのは旭の闘病を知ったときです。彼が寝たきりになりながら作曲していたことを知り、立派だと思いました。自分のことで一杯一杯のときに彼は、他人のことを考えて曲を作っていた。僕が医学を志したのは彼の影響です」(今井大地)

「彼の曲は強く主張することはありません。何回も聴いていると、また聴きたくなるんです。すっかり自分の一部になった感じはあります。逗子の桜並木を歩いているとき、彼の作った『しずかな春の夜』がふと浮かんできました。曲を通して彼とやりとりしている気がします」(重城守)

「旭の生き方を通し、日々を大切にしないといけないと思いました。やりたいことがあるのに、やれない人がいることを知ったんです。やりたいことができる環境というのは貴重です。旭からそれを学びました」(武優樹)

「5分の1」の人生で彼が遺したもの

旭の生きた時間は16年7カ月と10日である。日本人の平均寿命は男性でも80歳を超えている。平均的日本人男性の5分の1。これが旭の与えられた時間だった。

一方、彼が与えてくれたものはどうだろう。およそ500の曲を残し、その中には、今なお歌い、奏でられている曲も少なくない。これからも彼の曲は、時代を超えて人々の心を動かすだろう。

弱っていく体力に抗しながら、旭は渾身の力を絞りに絞り、最後に3曲を書き上げた。そのエネルギーの源泉は、「苦しんでいる人たちに勇気を与える曲を遺したい」という思いだった。宮沢賢治の影響もあり、旭は「死んでからでも人の役に立つ」ことを意識している。

限られた時間の波を泳ぎながら、旭は才能の原石を磨き、開花させ、最後にそれを他者に捧げることに精力を傾けた。音楽、友情、教育、闘病、障害、生命、家族。彼の生き方を通して考えさせられることは少なくない。

「生」の長さは時間では測れない。旭の16年は永遠なのだ。

旭は音楽にどんな思いを載せたのだろう。言葉にならなかったメッセージ。それを知るため、「永遠の16年」をたどる旅に出ようと思う。(つづく)

(敬称略)
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