母の衝撃的告白「あんたは、私から産まれた子どもじゃないんだよ」

1998年、蜂谷さんは30歳で結婚。夫は婿に入った。同じ年に男の子を妊娠し、8カ月を迎えた夏、事件は起こった。それはあまりにも唐突な出来事だった。

「いいことを教えてあげようか? あんたは、私から産まれた子どもじゃないんだよ」

母親は身重の蜂谷さんにニヤニヤしながら、そう言った。冗談ではなかった。これでもかというほど涙が後から後から溢れた。時間は止まり、何も考えられなくなった。

そういえば……。蜂谷さんは、ふと子供の頃のことを思い出した。

1977年の秋のある夜、小学校4年生だった蜂谷さんは、仕事から帰ってきた父親が「ただいまー、開けてくれ」と玄関の戸を叩く音を聞いた。鍵を開けようとすると母親が止める。

「あれは狐だから、開けるんじゃないよ」

何を言っているんだ、母は。意味がわからなかった。しばらくすると父親は家の中へ入ることが許され、母方の祖母(母親の母親)と叔父(母親の弟)がやってきた。父親が電話で呼んだらしい。別室で祖母たちは、母親をなだめているようだったが、母親は大きな声でこう言い放った。

「私は、○○ちゃんみたいな子がほしかったのよ!」

それは蜂谷さんと同じクラスの優等生の名前だった。一体母は何を言いたいのか。当時は理解できなかったが、「私から産まれた子どもじゃない」発言ですべてがつながった。

翌日、蜂谷さんが学校から帰ると、父親からやぶから棒に「母さんが入院したのはお前のせいだ!」と責められた。その後、母親との面会に連れて行かれたが、どんな会話をしたのか、会話をしたのかどうかも定かではない。その病院は、高い塀に囲まれ、門が施錠され、面会室も入口に鍵がかかっていた。それだけは覚えている。

その日、父親からは「母さんが入院してることは、誰にも言うんじゃないぞ」と言われ、寂しくつらい気持ちを誰にも吐露できなかった。

「(当時)母はノイローゼと言われました。激しい波と穏やかな波を繰り返し、特にイベントごとがあると症状が悪化します。私は、『自分のせいで母が病気になったのなら、とにかく良い子でいるしかない』とだけ思って過ごしました」

母親は約5カ月後に退院したが、喜ぶことはできなかった。強権的な父と、情緒が不安定な母に囲まれた生活が楽しいはずがなかった。ただ小6の頃、母親の妹である叔母の夫が病死したため、一時的に叔母一家が同居すると、蜂谷さんの張り詰めた生活は少し楽になった。

母親の精神状態は徐々に悪化したが、蜂谷さんは高校卒業後、両親が勧めるままに都内の美容専門学校へ入学し、寮生活を開始。卒業とともに六本木の美容室に就職した。