「でも、エンターテインメントは1番最後でいいじゃないかという意見もあった。東日本大震災の時もバンドマンに対して『お前らは不謹慎だ』という声も聞かれたし、『スポーツよりは後!』みたいな空気も感じる。でも、それぞれの現場で、それぞれ切実に困っているわけだから、順位をつけずに声を上げるべきだと思う。そうすることで誰がどんなふうに困っているのかが把握・可視化されてくる」
ミュージシャン自身が卑下しているところがある
日本には8000軒のライブハウスがあると言われる。しかしそれほどの規模でありながら、統一的な業界団体はない。それが支援の遅れをもたらすと共に、業界側が取り組んでこなかった課題を、コロナ禍が露呈させたとも言える。
海外では「文化支援」に資金を投入する国が見受けられるようになってきた。ドイツは文化支援に1200億円を投じ、コロナ時代に「(文化を創造する)アーティストは生命維持に必要」と明言している。そうした状況に後藤は、「日本の音楽は文化的地位が低いと感じることもある」と語る。
「ミュージシャンも、音楽って素敵だよと堂々とアピールしてこなかったこともあるだろうし、僕ら自身が“まあエンタメなんで……”と卑下するところがある。最近は、そうせずにやっていきたいなと思っている。音楽はある種のサービスみたいに消費されてしまう。地位向上ではないけど、もっともっとみんなの生活の中にあって、切り離せないものになっていくといいなという願いはある」
ライブハウスが地域に果たす役割とは
いまライブハウスが果たすべき役割とはなにか。後藤は2011年、東日本大震災で被害を受けた東北のライブハウスの支援・復活を目指すプロジェクト「東北ライブハウス大作戦」に参加。この時の経験が、ライブハウスの役割を考える上で大きく影響していると振り返る。
「震災以降で意識したのは、ライブハウスがある種、被災地支援の基地=ハブの役割を果たしてくれたということ。ライブハウスに支援物資を集めてバンドマンが東北に運びました。そのノウハウを広くシェアして、被災した場所があれば、広島や熊本にも持って行った。自然災害が多発する中、ハブ機能が発展してコミュニティーの1つになっていた。地域の人も含めた皆が集まって、人と人との繋がりが可視化される場所でもあると思う」
バンドが土地土地のライブハウスを巡ることで、その“ハコ”が営業を続けられ、従業員も仕事に就ける。また、イベントが終われば近くの飲食店で、その日のホットな感想をアーデモナイ、コーデモナイと侃々諤々と語らい、周辺地域の経済効果も伴う。無論これは、劇団の公演やミニシアター然り芸術全般に言えることである。