新型コロナウイルスの感染拡大で大打撃を受けた業界の1つが、ライブなどのイベント中止が相次ぐ音楽業界だ。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル・後藤正文氏は「エンターテインメントの支援が後回しにされている現実がある」と指摘する。ベテランバンドマンが考えるライブハウスの役割とは何か——。(第1回/全2回、聞き手・構成=姫路まさのり)
後藤正文氏
撮影=遠藤素子

ライブハウスで揉まれた大学時代

1つ1つの質問に前のめりに頷き、ステージ上では伺えない温和な笑顔さえ浮かべる後藤。自身も含めた音楽業界の深刻さを誰よりも見晴かしながら、それでいてどこか天気の話でもするように、悠揚と語り始めた。

ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアン・カンフー・ジェネレーション)、愛称は“アジカン”。1996年に大学のサークル仲間4人で結成し、2003年にメジャーデビュー。オリコン1位、アリーナツアー、フェスの主催と“シンデレラストーリー”を歩んできた彼らは、ライブハウス出身のバンドだ。ボーカルでバンドのフロントマンである後藤正文(44)は、結成当初をこう振り返る。

「僕らが最初にやったのは大学時代、横浜の『CLUB 24 YOKOHAMA』(2007年閉店)というハコで、出た時は緊張しましたね。ノルマがすごく高かったのを覚えています。1600円を30枚売るのが出演ノルマだったので4万8000円くらいを自己負担しました。ディズニーランドに行けばそれくらいかかるし、デートより楽しいことをしたと思えばいいんじゃない? みたいな感覚でした。きっかけを掴むまでのライブハウスって、バンドにとっては厳しい面もある。成功するのは一握りだと思うけど、芽が出なくても経験を積める場所であると思うんです」

若手がアピールする現場がない状況

デビュー当初のアジカンは歌番組の出演はほとんどなく、年間100本以上のライブでファンを増やしていった。2004年、初の武道館公演は全席をスタンディングにする“ライブハウス仕様”だった。タテに揺れ、ヨコに揺れの武道館ライブは、ファンの間で今も語り草だ。後藤はコロナ禍の現状を、そんな自身が若かりし頃と重ね合わせ少しうつむいた。

「今、自分がライブをできないこともそうですけど、若手のミュージシャンの気持ちを考えるとね……。最初はライブハウスで揉まれながら、機会もファンも増やしていく。新しい作品を作ってもアピールする現場が奪われるのは打撃だろうなと。自分が20代そこそこで『さあ今から!』と思っている立場だったら、絶対につらいと思う」

ボロボロの車に機材を積み込み、空いたスペースに割り込むように人間が乗り込み、各地を巡りながらイベントに出演する下積み時代。駐車場代金の支払いに苦労した事だって一度や二度ではない。会場に到着すればすぐさまリハーサル。物販の準備をして迎える本番。ライブが終われば同じ夢を志すバンドマン同士で遅くまでの打ち上げ。そしてまた、ぎゅうぎゅうの車へ乗り込み、次のライブハウスを目指して朝またぎに旅立つ。