たどり着いたのが、エッセイだった

そしてたどり着いたのが、エッセイだった。エッセイのおかげで、たくさんの人に「ブラジャーの記事(122ページ~)、おもしろかったです!」と声をかけてもらえた。「赤べこの岸田さんです」と紹介してもらえることもあった。「ああー!」と合点がてんしてもらえることに、ゾクゾクした。

年末に編集者の佐渡島庸平さんと、デザイナーの前田高志さんが、こんな言葉をくれた。

「岸田さんの文章はね、落語家と一緒だよ。読めば、目の前で登場人物や情景が動いているみたいに感じる。それで、何度読んでも笑える」
「たくさん傷ついてきた岸田さんだから、だれも傷つけない、笑える優しい文章が書けるんだと思うよ」

めちゃくちゃうれしかった。どれくらいうれしかったかというと、この日、初対面だった前田さんからいわれた「質問しますね」を「詰問きつもんしますね」と聞き間違えて、ダラダラ流れていた冷や汗が全部蒸発したくらい、うれしかった。

全部をひっくるめた「作家」になりたい

わたしは、落語家になりたい。

岸田奈美『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)

わたしは、コントの脚本家になりたい。

わたしは、ドラえもんになりたい。

わたしは欲張りだから、それらを全部ひっくるめた、作家になりたい。

いつかどこかの食卓で、「風が吹けば」ならぬ「赤べこ」と切り出すだけで、思わずだれかが笑ったり、救われたり、そんなだいそれた未来がきたら、飛び上がるほどうれしい。

わたしはきっと、いまを忘れるだろうけど。

だから、今年も書いていきたい。知らないだれかが、笑ってわたしの過去を、思い出してくれるように。重い人生だから、せめて足どりくらいは軽くいたいんだ。

知らんけど。

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