自分以外の家族全員が亡くなったとき、生き続ける理由はあるのか。作家の岸田奈美さんは、iDeCo(確定拠出年金)の書類を書きながら、自分以外の家族全員がいなくなったときを想像し、涙を流したという。何を思ったのか――。

※本稿は、岸田奈美『傘のさし方がわからない』(小学館)の一部を再編集したものです。

花束を持つ喪服の女性
写真=iStock.com/Yuuji
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節税のためにiDeCoを始めることにした

iDeCoの申込書類を書いていた。

iDeCoとは、自分で毎月お金を積み立て、なんやかんやして増やし、60歳になったら年金として受け取れる制度だ。

岸田家はむかしから、カモ顔かつカモ背景をもつ一家であるため、むかしから「やれ金塊を買え」「やれマンションを買え」「やれ精霊の水を飲め」などと四方八方からいいよられてきたので、投資だとか運用だとかには、どんなにおいしい話でもなるべく近づかないようにしている。

そんなわたしがなぜいきなりiDeCoを始めるかというと、税金を節約するためだ。

会社員をやめ、自分で毎月税金をはらうときの驚愕きょうがくっぷりったら、他に類を見ない。ふつうに声が出る。レジの人もビビって声が出る。偶然のユニゾン。できるだけ税の恩恵にあずかろうと、区民図書館のカードをつくり、毎月『横山光輝三国志』を数冊ずつ借りるようになった。いつまでたっても21巻が返却されないので読み終わらない。おのれ孔明。

60歳になったわたしのそばに、きっと母はいない

深夜0時、風呂上がりに贅沢で買った成城石井のグァバジュースを飲みながら、iDeCoの申込書類を鼻歌まじりに書いていく。いまはいとうせいこうの曲をくり返している。

「かけ金額をご記入ください」という項目の下に、小さな字で注釈がついていた。

「60歳以降に受け取れる金額が変わります」

ぴたりとペンを止めた。いとうせいこうも止めた。

60歳になったら、お金を受け取る。いくらにしようか。いくらもらって、なにしようか。

未来を思い浮かべようとしても、なにも見えない。

60歳になったわたしのそばに、きっと母はいない。障害と平均寿命のことを考えたら、ひょっとすると、弟だって。

そんな世界で、わたしだけ生きていくためのお金が、はたして必要なのだろうかと思ってしまった。

父が亡くなったとき、それはもう、つらくてつらくて仕方がなかった。さびしいのに、悲しいのに、くやしいのに、いっぱい泣いたのに、泣けば泣くほど腹がへり、飯を食って眠たくなる自分がいやだった。