藤田氏が妄想で記事化し、署名活動という私刑に発展
この藤田氏の「~楽しみ」という見出しが強烈なインパクトとなり、SNSで拡散されることになって、岡村発言はますます批判の矢面に立たされることとなった。ネット上では岡村氏が出演するNHKの番組からの降板署名運動まで勃発し、岡村氏は4月30日の同番組で自身の発言を謝罪した。
この署名運動は、ネットを使った私刑の呼びかけに等しい。署名運動者は、NHKは公共放送であり、受信料を払っているのだから当該番組への出演者に対し「ものを述べる権利」がある、などと言うがそもそも岡村氏を番組に使う・使わないの判断はNHKの編成権に属する。編成権にネットを使った署名運動で圧力をかけるのは、いわば「正義感に基づいた介入」であり放送の中立性や編成権の独立を委縮させる行為である。こういった「自分が不道徳だと感じた相手に対してネットを使った圧力をかける」という行為は極めて「道徳自警団」的である。私は数年前、人々が不倫などを行った著名人を「不道徳である」と決めつけ、電話やメールで徹底的に叩き制裁する風潮を「道徳自警団」と名付けた。道徳自警団のバッシング根拠は常に法的根拠に基づかない「不道徳だ」という大合唱であり、それを元にしたあらゆる圧力や介入はあまりにもやりすぎである。
断わっておくが私は、岡村発言全てを改めて聴いても、やはりある種の気持ち悪さを感じる。岡村氏の発想は不況下で美人風俗嬢の入店を期待する女衒(ぜげん・売春あっせん業者)のような価値観で、決して褒められたものでは無く、批判され謝罪する展開になることは道理である。
記事の方向性は正しい。が、作り方は下品である
しかしながら、岡村発言の批判拡大の嚆矢が、前記藤田氏の恣意的で扇情的な記事の見出しのインパクトであることは疑いようもなく、すでに述べた通り、そういった本人が「言っていない」ことをさも述べたかのように見出しで「二次加工」するのは、いささか記事の作り方としては下品である。
記事の方向性は正しくとも、その記事の見出しは読者に対して決定的な印象を持たせる。私はかつてある雑誌から原稿を依頼されたときに、「“韓国が官民あげて世界で反日工作を続けている”というが、であればなぜ日本への訪日外国人観光客は急増しているのか。結局、韓国の“反日工作”というのは日本の右翼による過大評価で、世界の人々は韓国側の主張と日本への観光評価を分けて考えている」と書いた。
原稿精度が高かったのか、誤字脱字を訂正した後、一発で入稿となった。その際、ゲラ(原稿が雑誌掲載の形でPDF化された準備画面)には、タイトルの部分は×××としてあり、やおら空白であった。やや不審に思った私は、担当編集者に「本原稿のタイトルは何にするのですか?」とメールを送ったが黙殺された。