鬼のコンサルタントを生んだ倒産経験

こうした社長の姿こそ、一倉先生が言うところの本来の社長の姿である。一倉先生はかつて私にくどいくらいに次のような話をした。それは、「会社を守るのは社長一人である。お金の問題はどんなことがあっても人任せにしない。自分の手元に入るまで、自分でやらなくてはいけない」。

これが鉄則だと繰り返し話されていた。

ところが、後継社長に多いのだが、資金繰りを議題に経営幹部会議を開いている中小企業があった。「うちは民主主義的経営なので」と、その後継社長は語った。

「民主主義的経営」という言葉を、非常に毛嫌いしたのが一倉先生である。言葉はスマートだが、「要は社長が経営判断をする勇気なく、ただ避けているだけだ」と一刀両断だった。

一倉先生が社長たちにかくも厳しく当たるのには、理由があった。それは、一倉先生の自分史に関わっていた。1918年4月群馬県前橋市に生まれた一倉先生は、前橋中学校卒業後に、中島飛行機株式会社の生産技術係長、富士機械製造の資材課長を経て、日本能率協会のプロジェクトマネージャーをなど経験して、経営コンサルタントとして独立した。

先生が幹部社員時代に在籍した会社は、いずれも倒産という苦い経験を味わった。そこで、生産部門がどんなにがんばっても、結局は商品の魅力がなければ会社は倒産することを知った。売り上げが短期間で半減し、給料が減り、資金繰りに窮して潰れるのである。

自分が社員として味わったつらい経験を社員、社長に経験してほしくない。その思いが、一倉先生を鬼にしたのである。

厳しい現状に一番危機感を持っているのは社長なのだが、判断もせず、幹部たちとはぐちゃぐちゃ言うのは時間の無駄だと社長を叱っていた。資金繰りの話は、社長が本気になって、必死になって取り組むべきものなのである。

資金繰りに悩む社長を待ち受ける「闇」

資金がひっ迫しはじめ、本当に悩み始めた社長の経験を幾度となく聞いたが、皆共通している。とくに後継社長で、資金に本当に悩んだことがない方など、初めての体験だと悩みはさらに深い。

資金繰りに忙殺された社長はどうなるか。

1、絶対がつくほど、夜、眠れなくなる。
2、何をするにも資金のことが頭をよぎり、他の仕事が手につかず、冷静な判断ができなくなる。
3、誰かに愚痴を言わないと、一人ではこなしきれなくなり、潰れてしまう。
4、無意識に、楽になる行動をとりたくなる

と深い闇が待っている。

そんな社長と毎日、毎晩、電話で話を聞き続けたことがある。もう、毒ガスを吐くようなもので、聞いている私のほうも憂鬱な気分になった。ただし、その話を聞かずに電話を切ってしまうと、電車が止まるかもしれない、と思い、ネガティブな話を何カ月も聞いた。

私は何を言いたいのかというと、社長が資金対策に奔走しなくて済む状態をまずつくらないと、あとが続かないということである。そのための体制をつくり、難局に当たる必要がある。必ず、どんなことがあっても、資金を第一に考える。幹部社員がいろいろ言うかもしれないが、そんなくだらないことは「うるさい!」と怒鳴ってよいのである。

いざとなったら、「命」はカネである。資金は時間であり、命であると考えて一刻も早く行動することだ。