今度は自分が世の中に「武器を配りたい」

思いついたときのタッキーさんは、最初に断定的なひと言をいったあと、滔々とうとうと理屈を演説する。この場合の「日蓮」とはどういう定義で、歴史上の日蓮とはどのような位置づけで、なぜ「倉山が日蓮にならなければならないのか」をディベートの立論のように延々と立証しはじめる。たぶん、そこで催眠術に自然とかかり、実践できる人が社会で成功できるのだと思った。

タッキーさんのデビュー作は『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)だ。

この場合の武器とは、社会で生きていくために、世の中の理不尽に屈しないために、生き抜くための武器だ。

タッキーさんは弱い人の、努力しても報われない人の味方だった。でなければ、当時ボロボロだった私を引き上げてくれるはずがない。ただし、自分の意思で未来を切り拓く気がない人間は相手にしなかった。だから「武器を配りたい」だったのだ。

もう二度と話ができないとなると、走馬灯のようにいろいろなことを思い出す。

リーマンショックが何のことやらわからなかった私が、なんとかここまでこれた。これから、あのとき以上の悲惨な世の中がやってくる。今度は私が、昔の私のような人たちに、武器を配りたい。

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