教養とは生きる力を得るための武器だ
ただし、知識を詰め込む講座ではない。講座は120分なので、講師が学をひけらかしても仕方がない。たとえば、宗教ではひと通り「神道」「仏教」「ユダヤ教」「キリスト教三大宗派」「イスラム教二大宗派」そのものを網羅するが、あくまで、ひと通りである。リーダーたるもの、なぜ宗教について知らねばならないか。ビジネスパーソンであれ、経営者であれ、宗教について知らないとどうなるか。この講座の内容程度のことを知らないとは、何も知らないに等しいと思い知る。
具体的には、たとえば商売の鉄則で「信者をつくれ!」というものがある。しかし、この手法は悪用すると、インターネットビジネスや霊感商法、ワンクリック詐欺にも使える。仮に自分はそういう手法を使わないと決めても、競争相手が使ってこないとは限らない。もし悪徳商法の手口を知らなければ、自分が汗水流して築き上げた全財産を失うかもしれない。商売で勝てないかもしれない。
教養とは趣味ではなく、生きる力を得るための武器なのである。
日本人に必要な教養を広めるのが自らの仕事
この教養セミナー全10回を1冊の本にしようと思ったが、1回を1冊の本にすることにした。とはいえ、講座内容を書き起こして本にするのでは意味がない。講座は少人数のゼミ形式なので、私が話した内容を起こしただけでは100ページほどにしかならない。そこで第1回「古典政治学」をベースに、2倍以上を書き足したのが『トップの教養』という書籍である。
私は日本人に必要な教養を広めるのが、自らの仕事であると任じている。くだんの会議で、私は「日本の金持ち」をこそ、やり玉に挙げた。救いようがないのが政治家。日本の政治家に教養がないのを批判するなど、八百屋で魚を売っていないと嘆くようなものだ。選挙と雑用で忙しくて勉強する暇がない人たちなのだから。
そんな政治家に代わって日本を動かしてきたのが官僚である。ところが、その官僚の劣化が著しい。もともと官僚とは、平時に決まりどおりに物事を動かす人たちであり、有事に物事を決める人たちではない。この人たちに胆力や識見を求めても仕方がない。