「君は学会に3%くらい未練が残っているだろう」

ところがタッキーさんは、大学を辞めて、戦略コンサルティング企業のマッキンゼーに行ってしまう。周囲は「何かやらかしたか?」といぶかったものだった。我々からしたらけんかっぱやいタッキーさんのこと、アカデミズムの世界のドロドロに3年で嫌気がさしたか、東大法学部の頭が悪い教授たちに頭を下げるのに飽きたかといったものだが、そうではなかったらしい。

あるとき、「倉山君、君は学会に3%くらい未練が残っているだろう」と指摘された。大学教員の道を捨て、この世界に進む修業をしていたころのことだった。多分、2010年だったと思う。タッキーさんの顔には「ドキッとしただろう」と書いてあったが、「あんなやつら、日本の運命にも社会の動向にも関係ないんだから、意識の中に1%でも残っていたらこの世界で成功できないよ」と早口で続けられた。

そういうことなのか、と当時は意外に思ったものだった。そういえば、内田さんも東大を飛び出されていたことを思い出す。

ヒーローを育てる「博士」だった

タッキーさんはとても頭のよい人だったので、アカデミズムの世界にさっさと見切りをつけられた。そしていまでいうところの「インフルエンサー」を育てたかったのだと思う。彼の頭のなかは「特撮ヒーロー」で出来上がっていて、そこで自分は「ヒーローを育てる科学者」の位置づけだったのではないか。

私を現在の世界に送り出してくれたのはタッキーさんと経済評論家の上念司先生だが、上念さんが「隊長」、私はさしずめ「新米ヒーロー」といったところだろうか。デビュー前、タッキーさんと上念さんに「倉山満プロデュース会議」を何度もしてもらったが、ほんとうに「科学者」「博士」の役回りだった。

そして、結論はひと言。

いまでも覚えているのが「倉山のキャラ設定は日蓮だ!」と、いきなり決めつけられた。