手持ち資金がなく、金策に奔走

その後も受注は順調に回復していき、業種もプラスチック関連だけではなく、本田技研工業の下請け企業など自動車関連へと徐々に広がりを見せるようになっていきました。

ただ、ゼロからの再出発だったため、手持ち資金がなかったことには悩まされました。次々と仕事の依頼が舞い込むのはありがたかったのですが、先方からの支払いを待たずに従業員たちに賃金を払わなければならないことも多く、日々、金策に奔走していました。

ホンダ系のある自動車部品メーカーの仕事を請け、30人程度採用したときのことです。当然ながら採用した全員に仕事がスタートした当月から給料を払わなければならないのですが、通常の支払いサイトでは、20日締め翌月末払いと40日後となってしまい、給料日の毎月5日に間に合いません。

当時はつなぎの資金も乏しく、借り先も底をつきつつありました。どうやってしのいだらいいのか──。そこで、意を決して担当者に直談判することにしました。

3年後には再建の目処が立つまでに回復

「厚かましいお願いですみませんが、工賃を当月払いにしていただけないでしょうか」
「20日で締めて、10日後には支払えってこと? そりゃあいくら何でも無茶だよ。そんな条件で取引している下請けなんてないよ」
「この人手不足でしょう。働き手をつなぎ止めておくのは大変なんですよ。給料の支払いが遅れるなら、みんな辞めると言ってまして……」
「この時期にまとめて引き揚げられちゃかなわないな。うーん、困った。……ちょっと上と相談してみるよ」

決死のお願いが功を奏し、何とかこの条件で支払ってもらうことができました。相談した窓口も通常の下請け業者(サプライヤー)とは異なる「構内外注」の特殊性を理解してくれ、特別の対応を取ってくださったようでした。

しかしながら今考えれば、3カ月以上の手形取引も当たり前だった時代に下請けの立場で請求月に支払えとはよく言ったものだと思います。それだけ当時は必死だったのでしょう。

オイルショックですべてを失った私でしたが、必死でもがいているうちにだんだんと新規の受注が増えていき、3年後には再建の目途が立つまでに回復しました。