リスクを追わずに労働力を増やすことは可能か
大半の企業が事業の立て直しに苦しむ中、工場構内の業務請負を生業とする会社が、なぜわずか3年ほどで再建に漕ぎつけることができたのか──。その背景には、日本の製造業がオイルショックを機に「減量経営」へと大きく舵を切ったという事情があったのです。
右肩上がりの高度成長期では、労働力を増やすことは“善”であり、それがそのまま競争力の強化につながりました。ところが、オイルショックのような出来事で急激な需要の後退が生じると、それが会社の経営を圧迫するリスクに変化します。
そうなると、企業としては景気後退に備えて正規の従業員は最小限にとどめておく、という選択肢を取ることになります。これが、オイルショック後に企業が選択することになった「減量経営」です。
しかし、好況に転じ業績を拡大できるチャンスが到来したら、機を逃さずに生産能力を高めたい。つまり、企業にとっては、景況に応じて生産計画を自由に調整できることが望ましいのです。では、リスクを負わずにこの問題を解決するにはどうしたらいいか──。
オイルショックを引き金に、市場が一気に拡大
そこで各企業が選択することになった手法が、外部への業務委託でした。外部への委託──私たちにとってみれば工場内の業務請負は、こうして一気に増えていくことになります。これを牽引したのが自動車産業で、70年代後半から急速に需要が拡大していきました。
かつての自動車業界は“自前主義”で、一般の製造ラインに業務請負という形で外部の業者を入れることはありませんでした。しかし、オイルショック後に組織のスリム化を図った結果、再び生産拡大の機運が高まってくると、現状の体制では生産計画の維持が難しくなり、請負業者を利用せざるを得なくなったということです。
自動車産業は巨大産業ですから、部品メーカーをはじめ下請け企業の層も厚く、自動車メーカー各社の業績が回復しはじめると、系列の部品メーカーなどからの引き合いも増え、業務請負の市場は一気に拡大することとなりました。
オイルショックが引き金となって、むしろビジネスチャンスは以前よりも広がったのです。それと同時に、取引先や請け負う業務の内容も大きく変化していました。日総工営としてはすでに再建を果たし、さらに成長を続けていましたが、あえてここで一区切りつけ、組織を新しくして、真の意味での“再出発”を図るという考え方もあるのではないか──。
そんな思いから、これからの時代の人材ビジネスを担う新しい法人を立ち上げることを決意し、オイルショックから7年が経過した1980(昭和55)年8月21日、日総工産株式会社を設立しました(日総工営はその後、同社に合併されました)。
まさに満を持してのリスタートでした。