「Vシネマの準主役ぐらいはできるんじゃないか」
総合格闘技とプロレスラーは似て非なるものだ。前者は寡黙、もしくは口数が多い場合は自分の興味のあることをまくし立てる人間が多い。取材者してはありがたいことだ。一方、実績のあるプロレスラーは、何を発言すれば聞き手が喜ぶのか、良く理解している。話の内容は面白くなるように“洗練”されており、逆にやりにくいときもある。同じプロレスラーたちを使って笑いを取ることも上手く、単純な個人競技ではないことを実感する。
藤波辰巳との「噛ませ犬」騒動の後、長州はプロレスの集団競技としての面白さに気がついたのではないかと考えるとその後の行動に合点がいく。
そして、この時期、言葉を操り始めている。83年4月、藤波に買ってヘビー級のベルトを巻いた後、彼はこう言った。「俺の人生にも、一度くらい幸せな日があってもいいだろう」。彼のキャラクターにぴったりと合った言葉だ。
その後、彼は兄貴分であるマサ斎藤と共に「維新軍団」を率いることになる。
84年にはジャパンプロレスというプロレス団体を立ち上げている。その後、新日本プロレスに戻る。そして、現場のレスラーを仕切る、「現場監督」として東京ドーム興業などの大規模興業を次々と成功させた。自らは引退しながらも、睨みを利かせながらレスラーたちを操ったのだ。
2002年、アントニオ猪木と決裂し、新日本プロレスを退社。WJという新団体を立ち上げた際、長州は移籍してきたレスラーたちに一人あたま500万円の移籍金を支払っている。これはプロレス界において異例である。自分に付いてきた人間に少しでも報いたいと思ったからだ。残念ながらこのWJは2004年に経営破綻。それでも側近の若手レスラーのため、2009年まで道場の運営を続けた。
2019年、長州はレスラーとして二度目の引退をしている。その引退ツアーの一つ、山口県山口市での興業にぼくは同行した。打ち上げで長州は、中堅レスラーを呼び寄せると「お前、いい顔しているな」と笑みを浮かべて言った。そしてこう続けた。
「Vシネマの準主役ぐらいはできるんじゃないか。人生考え直したほうがいい」
つまり、場数を踏んでいる割にプロレスが良くないという意味だ。その中堅レスラーは何も返すことができず、赤面して下を向いていた。
長州と彼とは何の関係もない。プロレス界の後輩に苦言を呈しても迷惑だと思われるだけだ。それを承知で厳しい言葉を掛けるのは、団体競技のSIDを持つ長州の愛情だろう。そして、こうした言葉を彼はツイッターでは決してつぶやかない。それが実に長州らしい。(続く)