「噛ませ犬」事件まで7年間燻り続けた理由
82年10月、メキシコ修行から帰国した長州は猪木と藤波辰巳と組んで、3対3の6人タッグマッチに出場した。その試合中、長州が藤波を平手打ちし、仲間割れを起こす。試合中に味方同士が殴り合いを始めるというのは、前代未聞だった。長州を猪木がけしかけたのだ。人気レスラーになっていた藤波に対して長州が「俺はお前の噛ませ犬ではない」と言ったとされる、「噛ませ犬」事件である(リングの上では噛ませ犬という言葉を長州は使っていない)。
この噛ませ犬事件で長州は、プロレスラーの勘所を掴み、一躍人気レスラーとなった。長州が新日本プロレスに入って7年後のことだった。
なぜ彼は7年間も燻り続けたのか。
彼の歩みにSIDという補助線を引いてみると見えてくるものがある。
前述のように彼の夢はプロ野球選手になることだった。今も熱心な広島カープのファンである。柔道に進んだのは、運動能力を高く評価されたことに加えて、野球道具を気楽に買ってもらえるような環境でなかったからだ。そして高校では誘われるままにレスリング部に入ることになった。意外かもしれないが、末っ子の長州は流されやすい一面がある。
レスリング部の彼の恩師である江本孝允はアマチュアレスリング時代の長州をこう評した。
「力が強くてバランスがいい。高校時代からフェイントを掛けて相手を崩すのが上手かった」
団体戦で負けた選手を責めることはない
江本が長州に関して最も記憶に残っているのは高校3年生のインターハイの山口県予選の団体戦だ。
団体戦は、7階級の各校総当たりのリーグ戦で行われた。代表を争う柳井商工には69キロ級に中国大会で優勝している手島という選手がいた。69キロ級を制することができれば、4勝となり、桜ヶ丘の勝利となる。江本は長州を彼にぶつけることを考えた。江本は長州を呼んでこう言った。
「お前が(体重を)69キロに落としたら、(県大会で)団体(代表)を獲れるぞ。お前が手島とやれ。お前ならば勝てる」
長州は「分かりました」と頷いた。
一切、口答えはなかったと江本は振り返る。
「個人(戦)では確実に行ける。キャプテンだったですから。みんなと行きたいというのがあったんでしょう。あの当時、減量といっても今と違って、ただ食べないで練習するだけ。きつかったと思います」
ところが――。
団体戦の試合は軽量級から始まる。2試合目の55キロ級で、勝利を計算していた桜ヶ丘の選手が敗れた。長州は69キロ級でフォール勝ちしたが、桜ヶ丘は3勝4敗で柳川商工に敗れた。試合後、長州は黙って俯き、負けた選手を責めることはなかったという。