恩師が絶賛した「集団を取り仕切る力」
専修大学レスリング部監督の鈴木啓三の長州の評価も良く似ていた。まずは飛び抜けた身体的能力を褒めた。
「高校時代から彼はスピードのある、投げが強い選手だった。投げはもう抜群だったね。将来必ずチャンピオンになる。見たらすぐわかるよ」
何より気に入ったのは、年上の選手と相対しても臆さないところだった。
「高校生だから(年上相手に)負けてもしょうがない、大学生だから全日本のチャンピオンに負けてもしょうがない、という気持ちがちょっとでも浮かぶともう駄目さ。彼はそうじゃなかった」
長州は江本の出身校である日本体育大学に進むことが濃厚だった。それでもどうしても来てほしいと熱心に誘い、専修大学に入学することになったのだ。
最も印象に残っているのは、長州が大学4年生で主将を務めていた時代のことだと鈴木は言った。運動部の代表が集められた会合で、理事長を前に「レスリング部が最初に春のリーグ戦で優勝します」と長州は宣言したのだ。専修大学レスリング部は長州が入学した年にリーグ戦で優勝している。それ以降、優勝から遠ざかっていた。
「丁度、専修大学の体育会が40周年だった。それで最初に俺たちのチームが優勝しますって言った。五月の初め頃だったはず。キャプテンが決まる3年(生)の終わり頃には心の準備ができていたんだろうね。それからもう厳しかったよ。彼がキャプテンのときが(専修大学レスリング部で)一番厳しいトレーニングしていた。もう、無茶苦茶やるからね」
俺、見ないふりをしていたものと、笑った。
「みんな吉田先輩が怖くて逃げられない。でも自分が先頭を切って、実践しているんだ。だから誰も文句が言えない。だからぼくはあの時が一番楽だった。彼が優勝を宣言した以上、優勝するだろうなって。それできちっと優勝した。ああいう学生はもう出てこないなぁ。性格も良くて勤勉、真面目ないい選手はいるよ。でもあいつは、ちょっと違うんだ。スケールが大きいもん」
鈴木が高く評価していたのは、やはり集団を取り仕切る長州の姿だった。
「プロレスの人間とは話が合わない」
長州は新日本プロレスに入った後も専修大学レスリング部の練習に顔を出している。卒業式で総長賞をもらいながら、卒業に必要な単位を取得できなかったのだ。授業に出席した後、レスリング部の道場で汗を流すこともあった。当時を知る専修大学レスリング部関係者は「プロレスの人間とは話が合わない」と長州がこぼしていたと教えてくれた。
長州は寝技、関節技の練習に全く興味を示さなかった。それどころか嫌悪感を持っていた節もある。そこには長州の肉体に対する強い自信があった。
「スタンドからやっていたら、誰もぼくからテイクダウンは取れなかったでしょうね。当時、20代のバリバリでしたから。ぼくの後輩だってみんな勝てたんじゃないかなと」
テイクダウンとは、レスリング用語でタックルで相手を倒すことだ。立った状態から始めれば、誰にも負けない。だから寝技や関節技は必要ない。そう冷ややかに見ていたのだ。
本来、プロレスとは鍛え上げた肉体、あるいは目を見張るような常人離れした躯を持った男たちによる“ショー”である。ただし、舐められてはならない。時にプロレスはショーであると絡んでくる一般人を力で叩きつぶすことも必要である。またリング上で相手が不意に“仕掛けてくる”こともある。衆目の中で顔を潰されれば、レスラーとしての価値は下がってしまう。そのため、レスラーは自分を護るために寝技、関節技を磨くのだ。
ただし、プロレスは、勝敗はあくまでも参考程度であり、最も大切なのは金の払う観客を呼べるかどうか、だ。関節技が強くとも、観客を惹きつけることができなければ、永遠に前座止まりである。寝技、関節技の強さはスポットライトの浴びないプロレスの日陰の部分であるとも言える。