自らを厳しく律し、同士を鼓舞する
さらに新日本プロレスの特殊な事情もあった。
新日本プロレスはジャイアント馬場の全日本プロレスと競合関係にあった。2メートルを超える長身に恵まれた馬場は、アメリカでも華々しい実績があった。アメリカのプロレス団体と良好な関係を築いており、人気の外国人レスラーを招聘することができた。そして、こうした外国人レスラーを新日本プロレスのリングに上がれないようにしていた。
そもそも、プロレス入門前、読売ジャイアンツの投手であった馬場、ほとんど他の競技の実績がないブラジル移民の猪木、2人のSIDは全く違う。2人の師である力道山は馬場の能力を高く買い、猪木には厳しく当たった。いつか凌いでやろうと猪木は馬場を上目遣いで見ていたことだろう。馬場への対抗策上、モハメッド・アリとの異種格闘技戦に代表されるようにプロレスにもかかわらず、「強さ」を全面に押し出した。そのため、複雑なものになった。
アマチュアレスリングは力の多寡による勝敗が全てである。勝利とという目標のために、直線的な努力が必要となる。個人競技ではあるが、高校大学という学校スポーツにおいては、集団競技的な要素がある。自らを厳しく律し、同士を鼓舞する。そこに長州はやり甲斐を感じていたはずだ。
ところがプロレスに入ってみると事情が違った。
プロレスの汚さに失望
長州は入門直後の話をしてくれたことがある。先輩レスラーが「グラウンドになれ」と指示した。グラウンドとはグラウンドポジションを意味する。長州はマットに膝をついて、しゃがみ込もうとした。
その瞬間だった。片足が動かず、前につんのめった。振り返ると、先輩レスラーの木戸修が涼しい顔をして踵を踏んでいた。
プロレスというのは、こういう汚いことをするのだと嫌な気持ちになったという。
「木戸さんがどうこうじゃないんです。新人に対する洗礼? そういうものだったのかもしれませんね」
これまでの長州の生き方とは全く違っていた。個としてリングで自らを売っていかなければならないプロレスラーの生きざまは受け入れがたいものだった。
長州は在日朝鮮人であるという出自はあるものの、猪木のような劣等感はない。そして、何よりアスリートとしての実績があった。猪木が醸し出していた、新日本プロレスの空気に戸惑ったのは当然だろう。
ただし――。
プロレスラーとはリングの上では激しく躯、感情をぶつけながらも、実はしっかりと手を握っている。彼らは観客に対して勝敗という秘密を共有した男たちだ。その意味で集団競技的な面がある。