「大阪名物」になったのは2000年代になってから

なお、大阪における串カツの歴史については、新世界にある「串かつだるま」で発祥したというのが定説のようだ。菊地武顕著『あのメニューが生まれた店』(平凡社)によると、もともと串カツは肉体労働者の食べもので、現在のようにたくさんのメニューがあったわけではない。牛カツだけを提供していて、大阪でも今ほどメジャーな存在ではなかった。

それが、「大阪名物」とまでいわれるようになったのは、意外にも2000年代に入ってからだ。串かつだるまが閉店を余儀なくされそうになったとき、元プロボクサーで俳優の赤井英和氏が尽力して現在の店主にあとを継がせ、自身も串カツの魅力をテレビなどで喧伝した。こうして串カツ人気が高まり、それまで新世界にしかなかった串カツ専門店が大阪のほかのエリアにも広がっていったということだ。

カリッとした食感も、「2度づけ禁止」も新鮮だった

この大阪スタイルの串カツが東京で受けた要因は、商品の目新しさと営業スタイルの両面から分析することができる。

まず、商品としての大阪スタイルの串カツは、前述の東京風の串カツとは似て非なるものである。東京ではほかの揚げものと同様に小麦粉をまぶしてから卵液にくぐらせ、パン粉をまぶして揚げるのが普通だ。一方、大阪のそれは卵、小麦粉、そしてヤマイモなどを合わせて仕込んだバッター液(衣)とごく細かくひいたパン粉を使用する。これによって、独特のカリッとした食感を生み出し、揚げものであるにもかかわらず、スナック感覚で気軽に何本でも食べられてしまう。

バラエティー豊かな具材も関東圏の人にとっては新鮮だった。定番商品の牛カツはそもそも関東ではなじみが薄かったし、ミニトマト、紅ショウガ、もち、チーズといった大阪らしいジャンクなメニューもものめずらしく映ったに違いない。サイドメニューにも関東では認知度が低い「どてやき」「肉すい」といった商品が並んでいた。

加えて関東人の心をとらえたのは、「2度づけ禁止」に代表される独自のルールや食べ方だ。串カツ専門店では卓上にソースが用意され、お客は運ばれてきたアツアツの串カツをこのソースにドボンとつけてほお張る。このソースは使いまわすので、一度口をつけた串カツを再投入してはいけない。キャベツはたいていお替わりが無料で、「ソースを追加でかけたいときには、このキャベツをさじ代わりに使うんだ」なんていうウンチクを語る人をよく目にした。