大阪風の串カツ専門店が、関東地方で増えている。大阪名物の串カツが関東で受け入れられたのはなぜか。ライターの石田哲大氏は「串カツ田中の影響が大きい。東京・世田谷という住宅地から出店を始め、女性や家族連れが入りやすい雰囲気にすることで、客層を広げた」という――。
写真=PRESIDENT Online編集部

2008年の1号店は「世田谷駅近く」だった

トレンドが目まぐるしく入れ替わるのが、外食業界の常だが、一方で流行の段階を経て市場にしっかり根づくものもある。近年でいえば、関東圏における「大阪スタイルの串カツ」は市場に定着した事例だろう。その立役者は「串カツ田中」だ。

串カツ田中が東急世田谷線の世田谷駅近く(住所は東京都世田谷区世田谷)に直営店1号店を出店した2008年当時は、「大阪スタイルの串カツ」といってもピンとくる向きは少なく、記事を書くときには「大阪では一般的なソースの2度づけが禁止の……」などと、くどくど説明したものだ。それがいまでは大半の人はイメージがすぐにわくはずだ。仮にわからなくても、串カツ田中の名前を出せば「あぁ、あれね!」となるだろう。

それでは、なぜ大阪スタイルの串カツが首都圏で流行し、深く根を下ろすことができたのか。その疑問を解く前に、大阪スタイルの串カツがはやる前から存在していた「東京風の串カツ」にも触れておきたい。