数々の「クソみたいな仕事」はなぜ生まれたのか

社会人類学者のデヴィッド・グレーバーは、その著書『Bullshit Jobs:A Theory(ウンコな仕事――いらない仕事の理論)』(Simon & Schuster、2018)で「技術は、むしろ、もっと人々を働かせるために利用され、くだらない無意味な仕事が次々と生み出された」と主張している。

グレーバーによれば、20世紀に増えたのは管理系の仕事だ。新しい情報関連産業である金融サービスや、テレマーケティングなどが創出されただけでなく、専門職、管理職、事務職、販売職、サービス職といわず、会社であれば法務、大学の管理や健康管理、人事、広報など、広い意味での管理部門が膨れ上がったというのだ。

彼の意見では、受付係やドアマンは、顧客に自分が重要な人物だと思わせるために存在している「太鼓持ち(Flunkies)」なのだそうだ。さらには、雇われて攻撃的に活動するロビイストや企業弁護士、広報担当は「雇われ暴力団員(Goons)」、中間管理職は「ムダな仕事製造係(Task Makers)」だと評するのだから、手厳しい。

グレーバーが不要だという職業が、本当に不要かどうかはともかく、彼は二つ重要な指摘をしている。一つは、保育士や看護師といった、彼に言わせれば「意味のある仕事」をしている人の賃金が低過ぎること。もう一つは、こうした社会システムが「悪い」資本家や政治家などによって意図的に設計されたわけではなく、無策によって出現したということである。

大量の書類仕事が官僚制化を進めている

さらに興味深いのは、こうした「ブルシット・ジョブ」(くだらない意味のない仕事、どうでもいいクソ仕事)が本人たちにとっても、そのように思われているという指摘だ。グレーバーによると、イギリスの有力な調査会社YouGovの調査では、労働者の50パーセントは「自分の仕事が有用だ」と考えている一方、「社会に対して意味のある貢献をしているとは思っていない」が37パーセント、「わからない」が13パーセントという回答結果であったという(「アナキズム、仕事、そして官僚制―― デヴィッド・グレーバーへのインタビュー」『現代思想』2018年6月号)。

ここで、問題にされているのは、膨大な書類作りなどの事務仕事だ。彼の主張に首を傾げる人も、管理するための仕事が増えて書類ばかり作らされている、という現状認識には同意するのではなかろうか。グレーバーは、こうした大量の書類作りを「全面的官僚制化」(『官僚制のユートピア――テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』邦訳 以文社、2017)と呼んでいる。

「官僚制が非効率だ」とか「非人間的で融通が利かない」といったタイプの官僚批判は、これまでも繰り返し行われてきた。ここで考えてみたいのは、どうして、そうした批判にもかかわらず、官僚制はいっこうに改善されないのか、ということだ。