西欧世界の「自縄自縛」

人権に重きを置き、これに基づいて「異邦人」を包摂することは、西欧的な価値観で育った人にとっては空気のように当たり前のことだった。保守的で排外主義的な価値観に基づく言動が、先進的で人権意識の高いリベラルな人びとにとっては「わるいもの」にしか見えなかった。だが、人類社会がたんに無知蒙昧だから、古臭く「わるい」価値観にこだわっていたわけではなかったのだ。それは社会の更新と再生産にとり合理的に――水が低きに流れ陽が東から登り西へと沈むように――収斂された形だったのだ。

いま西欧世界は動揺している。自分たちが広げてきた多様性という名のイデオロギーによって、自分たちの思想的リーダーシップが失われてしまったからだ。自業自得、自縄自縛といってしまえばそれまでのことだが、多様性という「相対化」の文脈が、自分たちの思想そのものにまで及ぶとは想像していなかったようだ。西欧的な価値観に相容れない価値観や宗教観を持った人びとに対しても「多様性」に基づいた「寛容性」を示さなければならなくなった。

移民との軋轢が生じ始めたフィンランド

その課題に直面しているのが、「高福祉」で知られるフィンランドだ。フィンランドの移民人口はじわじわと上昇している(2000年には3.3%だったが、2017年には5.8%にまで上昇した)。そして、雇用や社会保障をめぐって、国民と移民との間で軋轢が生じ始めた。

フィンランドは移民・難民に対する手厚い支援を実現させるため、自分たちの国の規模に見合った人数を計画的に受け入れてきた。ところが近年、国民と移民・難民との間であつれきが深刻化している。
(中略)
加えて、急速に浸透したのが「福祉の取り合い」という考え方だ。高い税金を納めているからこそ受けられるはずの「高福祉」。しかし移民や難民は、一度滞在許可がおりれば、国民と同等の生活保護、医療、教育を受けられる。「福祉の取り合い」は移民や難民が「高福祉」に“ただ乗り”しているという不公平感に基づくもので、シリアの内戦などに伴う移民・難民の流入が急増するなか、こうした議論は活発になった。

(NHK『外国人“依存”ニッポン:「世界一幸せな国」フィンランドと「福祉の取り合い」』(2019年5月29日)より引用)

「自分たちの価値観や文化に相容れず、また国民の雇用や社会保障を奪う移民を排除しなければならない」という機運が高まり、国民主義を標榜する政党「真のフィンランド人」が台頭し、2019年4月の総選挙では、とうとう野党第二党にまで迫ったのだった。