テクノロジーへの過剰な期待は止めたほうがいい

それは政治運動に限らない。コミュニケーション・テクノロジーはわたしたちのライフスタイルを大きく変えたと思われていたが、東はそのあり方にも疑問を呈する。

菅付雅信『動物と機械から離れて AIが変える世界と人間の未来』(新潮社)

「コミュニケーションのテクノロジーがいくら進化しても、人々は同じように喧嘩をし、恋愛をし、薄っぺらいカリスマに熱狂している。人々の行動パターンはあまり変わっていませんし、関心をもつことは何も変わっていない。ぼくもインターネットは少なくとも政治くらいは変えるだろうと思っていました。でも、変わらなかった。むしろ社会を変えていくためには、新しいテクノロジーについて過剰な期待をするのを止めたほうがいいんじゃないかと思います」

だからこそ東は現在、「市民社会をどうつくるか」という古い問題に関心が移っているという。

「デジタル・ガジェットに囲まれた動物的な人々が、それに飽きたらなくなったときに言葉を与える場所をどうつくるか。ゲンロンは、そういうときに社会や政治について考える人が集まる場所として育てていきたいと思っています」
「これまでは批評や哲学などの伝統を引き継いで残す場所というアイデンティティを持っていたのですが、少し方向性を変えました。今の社会の中で哲学的、文学的なことを考えられる場所にしていきたいんですよ」

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