「飢えているよりも満腹がいいし、硬い床で寝るよりも柔らかいベッドで寝たいでしょう。空虚な日常よりも適度に耳障りな音楽を与えられ、適度に泣ける物語を与えられたほうがいいに決まっています」

「動物化とは、そんなに悪いことではないんですよ」——東は意外にもそう語る。しかし「そこに飽き足らない人々のことも考えなければいけないんです」と彼は補足する。

「人間は動物的に生きても問題ないわけです。コジェーヴは動物化を定義するときに、人間は環境と調和していない、動物は環境と調和していると表現しましたが、人間も周りの環境と調和して生きたっていいわけです」
「でも、どんな人でも環境と調和したくなくなる時はあるんですよ。そのきっかけは親族の不幸かもしれないし、病気になった瞬間かもしれない。『なぜ人は生きているのか』や『なぜ世界は存在するのだろう』と、超越論的な思考をしてしまう時が人間にはあるんです」

リアルな世界こそ出会いや発見がある

そのような人々が集い、考える場所が社会にとって必要ではないか——。東がゲンロンを立ち上げ、現在も運営を続けている根幹にはこの考え方がある。

「超越的な視野がほしいかどうかは、その人が決めることです。でも、超越的・哲学的・文学的・人文的な思考をしたい人たちには、社会はそれを提供しなくてはいけない。ただ言っておきたいのは、人が文学的なことばかりを専門的に考えている状態はおかしいということ。『文学的である』状態とは、文学的ではない生活、つまりは動物化が広がっているなかで、あるタイミングで人に訪れるものなんです」

東は2014年に刊行した著書『弱いつながり― 検索ワードを探す旅』で、最適化された世界の外側に向かうための「旅」や「弱いつながり」の重要性を挙げた。

かつてはインターネットやバーチャル空間こそが“人間にとっての新しいフロンティア”として持てはやされていたが、いまやそれは逆転していると東は考える。

「リアルな社会に息苦しさを感じるからこそ、様々な出会いや発見のあるバーチャルな世界が必要だと言われますよね。ぼくは逆だと思っています。リアルな世界のほうが偶然性が高く、様々なものに出合える可能性が存在しています。リアルな世界での思いがけないものや知らないこととの出合いが、実は頭をリフレッシュしてくれるんです」