AI(人工知能)は私たちの暮らしにどんな変化をもたらすのか。編集者の菅付雅惟氏は「インタビューをした思想家の東浩紀氏は、人間は支配や権力に対して柔軟。AIやロボットの登場で暮らし方は大きくは変わらないと指摘した。インターネットやSNSで人間や社会が大きく変わらなかったように、新しい技術に過剰な期待を抱かないことを勧めている」という――。
※本稿は、菅付雅信『動物と機械から離れて AIが変える世界と人間の未来』(新潮社)の一部を再編集したものです。
人間と動物を区別するものとは何か
「動物には精神がないから、単なる機械である」と定義したのはデカルトだ。さらに彼は「人間には精神があるから単なる機械ではない」と言い、人間と動物の区別をその精神の有無に依るものとした。では、動物が単なる機械だとするならば、人間は複雑な機械なのだろうか。
「動物と機械における制御と通信」という挑発的な副題がついた古典的名著『サイバネティックス』〔1948年〕の著者、故ノーバート・ウィーナーは、コンピューター文化の生みの親のひとりだ。
数学者の彼は第二次大戦中にアメリカ国防総省の要請を受けて、ナチス・ドイツを打ち破るため、まずはナチスの爆撃機を効率よく撃ち落とす対空砲火を開発するべく、数学を軸に、脳科学、物理学、生物学の研究者を一堂に集めて領域を横断した新たな学問を生み出した。
それが「サイバネティクス」だ。そこでウィーナーは計算機、しかも自ら計算する機械を構想する。彼は『サイバネティックス』の中でその構想をこう述べている。
「演算の全過程を計算機の内部に置いて、データが計算機の中にはいり、計算の最終結果がとりだされるまでのあいだ、人間が介入しなくてもよいようにすること、またそのために必要な論理的判断は、計算機が自ら行なうこと」