直球と変化球のときに不思議とわかる

伊良部には教えなかったが、確かにもう1つあったのだと佐伯はぼくに言った。しかし、それは言葉にすることができなかったと付け加えた。

「直球と変化球のとき、マウンドのシルエットが違うんです。口では説明できないんです。グラブのちょっとした向きとかかもしれない。でもぼくにはわかる。伊良部さんに言いたくても言えなかった」

佐伯は両方の手で掌をひょうたんを描くように動かした。

「人の形が違うというんですかね、言葉では説明できないんです」

佐伯はマウンドの伊良部から、何かを感じ取っていたのだ。

佐伯は投手と打者の関係について、興味深い話をしてくれた。彼は伊良部に、どういう打者が嫌ですか、と聞いたのだという。すると伊良部の口から佐々木誠の名前が出てきた。

佐々木は、南海ホークスから福岡ダイエーホークス、94年から西武ライオンズに所属していた左打ちの外野手である。92年に首位打者になっている。

「伊良部さん曰く、自分もバッターに対して牙を剥く。佐々木誠さんも牙を剥いてくる。向かってこられるので、本当に投げるところがない。見逃すだろうと思ったボールに、ポンと突然バットが出て来る、と」

佐伯の話を聞きながら、居合いの達人による果たし合いを思い浮かべた。

投手と打者の間にある、18.44メートルは結界のようなものだ。投手の腕から飛んで来るのは鉛の球である。頭部に当たれば、生死に関わる。その球筋は、前述のように投手の手を離れた瞬間には分からない。打者は当然、神経を研ぎ澄ますことになる。そして、優れた打者は常人では理解できない領域に到達する――。

いわば「奇人変人」の部類である。

室内で銃を乱射し、バーボンを飲みながら雪道を爆走

奇人変人の大打者としてまず頭に浮かべるのは、9年連続首位打者、三冠王、打率4割などの記録を残した、メジャーリーグ最高の打者、タイ・カッブだ。

トミー・リー・ジョーンズがタイ・カッブを演じた。『タイ・カッブ』(原題「ザ・カッブ)という映画がある。自伝執筆の代筆――ゴーストライターの依頼を受けたスポーツライターである、アル・スタンプが、晩年のカッブに会いに行くところから物語が始まる。そこで彼が見たのは、黒人の使用人に人種差別の言葉で罵倒、室内で銃を乱射し、バーボンを飲みながら車のハンドルを握り、雪道を猛スピードで走る、性格破綻者の姿だった。アル・スタンプはカッブの死まで、彼の狂気に付き合うことになる――。

しかし――。

後年の調査で、スタンプがカッブに会ったのはほんの数日間のみ、この作品及び原作で描かれたことはほとんど捏造であったことが分かった(不幸なことに、この作られたカッブの像が定着し、後に製作された『フィールド・オブ・ドリーム』などにも反映されることになる)。

人は自分の信じたいことを信じるものだ。カッブのような並外れた成績を残した打者は、常人離れしていると思い込みたい、という心理が働いたというのもあるだろう。

そして、実際にカップは一風変わっていた。観客に殴りかかる、あるいは打撃、走塁技術に強い拘りを持っていたことは事実である。