鳥居の向こうに富士山が鮮やかに見えるロケーション

まだ昼前なのに、「桜井うどん」の店内はにぎわっていた。メニューらしきものはなく、温かいうどんか冷たいうどんのどちらかを選べという。温かい方を注文すると、きざんだ油揚げと、ネギの代わりにキャベツが薬味として盛られたうどんが運ばれてきた。

手打のうどんは角張っていてコシが非常に強い。シンプルにして味わいがある。値段もわからず食べたが、これで400円だという。あまりの安さに驚く。

よく見ると、キャベツを別皿で注文している客や、「替え玉」を注文している客がいる。メニューがないから、そんなことができるとは知らなかった。きっと地元の常連客なのだろう、背広で正座しながら、「替え玉」を丼に流し込む男性の仕草に思わず笑ってしまった。

御師の家々が両側に並んでいた街道は、現在「富士みち」と呼ばれ、「金鳥居かなどりい」が立っている。鳥居の向こうには、富士山が鮮やかに見える。このロケーションは、行者たちの富士登山に対する思いをいやが上にも高めたに違いない。金鳥居は、富士山の「一の鳥居」であり、北口本宮冨士浅間神社の参道入口を示す鳥居でもあった。

数百年の杉並木と石灯籠に挟まれた浅間神社の参道を進み、木造では日本最大の鳥居とされる「冨士山大鳥居」をくぐり抜け、神楽殿や本殿を見学する。

境内は外国人観光客でごった返していた

三島由紀夫の長編小説『豊饒の海』の第三巻『暁の寺』(新潮文庫、2002年)には、主人公の本多繁邦らがこの参道を歩く場面がある。「一行はついに高さ六十尺にちかい朱塗りの大鳥居に到り着き、これをくぐると朱の楼門の前に、高く積まれた汚れた雪が取り囲む神楽殿にぶつかった。神楽殿の軒の三方には七五三縄しめなわが張りめぐらされ、高い杉の梢から、一条の歴々たる日ざしが、丁度床の上の白木の八朔台に立てられた御幣を照らしていた」。雪の季節にはまだ早いが、神社の光景そのものは変わっていない。

先に見た「ふじさんミュージアム」とは対照的に、境内は観光客でごった返していた。その多くは外国人だ。本殿の右手奥には、かつて行者が山頂を目指すために通った吉田口の登山門もあった。

富士山麓の鳴沢村にある別荘に滞在していた武田百合子(1925~93)は、1966(昭和41)年1月3日、夫の泰淳、娘の花子とともに初詣のため車で浅間神社に参拝したことを日記に書いている。

浅間神社の境内には雪がそのまま残り、小暗い参道を白装束の富士講が七、八人帰ってくる。鈴の音がひびく。(『富士日記』上、中公文庫、1997年)