岡山県瀬戸内市にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」。ハンセン病患者を隔離する目的で1930年に開設されたが、その背景には皇室が深く関わっているという。政治学者の原武史氏が解説する――。(第1回/全3回)
※本稿は、原武史『地形の思想史』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
国家の思想によって運命を変えられた島
瀬戸内海には、全部で大小七百あまりの島があると言われている。その中には、淡路島や小豆島のように『古事記』の国生み神話に早くも出てくる島もあれば、宮島(厳島)のように嚴島神社がユネスコの世界文化遺産に登録され、多くの観光客でにぎわう島もある。
これらの島々ほど有名ではないが、明治以降の近代化とともに国家による厳重な管理下に置かれ、景観が一変した瀬戸内海の島もある。
岡山県の長島と広島県の似島である。
二つの島の運命を大きく変えたのは、「衛生」という思想であった。いかにして恐るべき伝染病から日本を守るべきか。この課題にこたえるべく、1895(明治28)年と1905(明治38)年に開設されたのが似島の陸軍似島検疫所(後の第一検疫所)と同第二検疫所であり、1930(昭和5)年に開設されたのが長島の国立らい療養所(現・国立療養所)長島愛生園であった。「島」という地形が、病原体を隔離するための空間となるのである。
似島の陸軍検疫所は、日本の「外」から持ち込まれる可能性のある病原体を一カ所に集めて消毒したり、患者を隔離したりするための施設であった。これに対して長島愛生園は、日本の「内」に散在している病原体を一カ所に集め、患者を徹底して管理するための施設であった。前者はコレラや赤痢の侵入を防ぐための、後者はもっぱら「癩病」と呼ばれたハンセン病の患者を隔離するための、いずれも国内最大の施設になってゆく。