1995年、麻原彰晃を尊師とするオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件。その惨劇の現場を実況中継する――。
※本稿は、松井清人『異端者たちが時代をつくる』(プレジデント社)の第1章「『オウムの狂気』に挑んだ6年」の一部を再編集したものです。
地下鉄の惨劇
「オウムだ。間違いない。やったのはオウムだ」
テレビのニュース速報を食い入るように見つめながら、私は何度も呟いた。
1995(平成7)年3月20日、月曜日の朝だった。
オウム真理教の5人の信徒が、猛毒のサリンを入れたポリ袋を新聞紙で包み、先の尖ったビニール傘を持って、別々の地下鉄に乗り込んだ。傘の先端が尖っているのは、袋に突き刺して穴を開けるためだ。
5本の列車が交わるのは、都心の霞ケ関駅。朝8時前後にこの駅へ差しかかる各線は、中央官庁に勤める公務員の通勤ラッシュで満員になる。警視庁や警察庁、検察庁の職員が多く利用する時間帯に最大の被害を出し、教団への強制捜査を遅らせることが、教祖・麻原彰晃の狙いだったという。
霞ケ関駅への到着予定時刻は、
千代田線・我孫子発、代々木上原行が、8時11分。
丸ノ内線・池袋発、荻窪行が、7時58分。
丸ノ内線・荻窪発、池袋行が、8時9分。
日比谷線・中目黒発、東武動物公園行が、8時14分。
日比谷線・北千住発、中目黒行が、8時6分。
5人の実行犯は、霞ケ関駅に着いたときにサリンが車内に充満するよう、3駅から5駅手前でポリ袋に傘を突き刺し、地下鉄を降りた――。