駅構内に広がる刺激臭

世界初の化学兵器テロ、日本で最大の同時多発無差別テロが炸裂する。13人が亡くなり、6300人以上の負傷者が出た。25年近くたった今も、視力障害や痙攣など、重い後遺症に苦しむ人がいる。

もっとも多くの死者を出したのは、⑤の日比谷線だった。小伝馬町駅で4人、八丁堀駅で1人、築地駅で3人。

『週刊文春』(95年3月30日号)は、サリンの恐怖を目の当たりにした人々の生々しい証言を載せている。

56歳の会社員、石井正武さんは、八丁堀駅で⑤に乗車した。

〈緊急停止ベルが鳴ると、石井さんが乗っていた日比谷線の車内はパニック状態となった。

「人が倒れたぞ!」
「電車を止めろ!」

叫び声が飛び交う。数分後、電車は隣の築地駅に到着。ホームにいた駅職員は、車内で苦しそうに助けを求めて手を振る女性を発見。慌てて電車に駆け寄ると、開いたドアから乗客五人が、口から泡を吹きながら、転がり出てきた。

駅構内にたちまち刺激臭が広がる。ホームにそのままへたり込んだ人が7、8人。一人はベンチにグッタリとくずおれてしまった。〉

口から泡を吹いて目が半開きの男

築地駅。48歳会社員、松岡憲雄さんの証言。

〈「三両目の後方には3メートル四方くらいの水たまりがあり、それをはさむように2人が倒れていました。『死ぬ!』とか『救急車を呼んでくれ!』という悲鳴が聞こえました。

私も駅員さんと一緒になって、具合の悪くなった人を電車の外に引きずり出していましたが、目の前が暗くなり呼吸が苦しくなってきたので地上に出ました。地上では、先程まで先頭に立って救助に当たっていた駅員さんが、目をひきつらせて激しく痙攣していました」〉

築地駅の地上出口には、自力で脱出した50人くらいの人がうずくまっていた、と記事は続く。

〈ほとんどの人がハンカチで口を押えている。自分の吐瀉物で背広を汚して倒れている男性や、紫色がかった顔色で鼻と口から血を流している人もいる。〉

小伝馬町駅も修羅場と化していた。

〈「真ん中の車両のあたりから『ウ~ッ』と呻くような奇声が2、3回聞こえてきました。『ホームは空気が悪いようなので外へ出てください』とアナウンスがあって、みんなゾロゾロと出口の方へ歩き出しました。(中略)

地上に出ると、人がバタバタ倒れていて、口から泡を吹いて目が半開きの男の人もいました。本当に想像を絶する光景でした」(紙井智子さん・27・会社員)〉