「ゲートウェイ」は公募前にすでに内定していた?
JR東日本が発表したプレスリリースはその選定理由を次のように述べている。
新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担うことになります。
新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展に寄与するよう選定しました。
再開発地区のプロジェクトは「グローバル ゲートウェイ 品川」と名づけられ、その名称はすでに平成27(2015)年にJRが出した都市計画概要のパンフレットに明記されていた。
ここには「国際交流拠点の形成イメージ」として「人々の移動と交流をスムーズで活発にしていく先進テクノロジーの育成」「世界の模範となる、環境・経済の両面で持続可能な都市開発モデルを確立」「交通ネットワークが結ぶ人や地域の魅力を循環し育てる仕組み」といった文言が躍っており、漠然ながらバラ色の未来構想が描かれている。想像するに重要キーワードの「ゲートウェイ」はすでに内定しており、公募結果はその頭に付ける地名の参考に用いただけと考えても不思議はない。
由来となった「高輪大木戸」は関門だった
高輪という地名は江戸期から広域の通称として用いられていたようで、高鼻和、高名輪、高縄、高畷とも書いたという。畷(縄手)は田畑の中の道、まっすぐな一本道などを指すが、高鼻和の表記からはハナワ(微高地)との関連もうかがえる。地形的には海沿いの高台で、東側(品川駅の方)は崖になっているため、高さがひときわ強調されたのだろう。
いずれにせよ数百年は経つ古くからの地名で、京都から来る東海道はこの崖下が江戸の入口だった。ここに関門としての高輪大木戸が設けられたので、これを後付けで「ゲートウェイ」に関連させたようだ。これまで高輪エリアには泉岳寺駅と高輪台駅(都営地下鉄浅草線)、それに白金高輪駅(同三田線・東京メトロ南北線)が設けられているが、「高輪駅」そのものはない(厳密に言えば昭和初期まで京浜電気鉄道〔現京急〕に高輪駅が存在)。