北海道から鹿児島まで「じゆうがおか」の地名は全国に

宅地を造成して「都市」と名づける手法は、小田急も戦前に「林間都市」で実現させた。東林間、中央林間、南林間の3駅がその名残だが、昭和16(1941)年まではそれぞれ東林間都市、中央林間都市、南林間都市と「都市」が付いていた。しかし当時としては都心から離れ過ぎていたためか売れ行きは芳しくなく、いつまでたっても「林間」を脱し得なかったため削除したらしい。皮肉にも都市化が進んだのは「都市」を外して20年ほど経った戦後の高度成長期であった。

しかしブランド地名はその人気ゆえに拡散する性格があり、特に戦後になって「○○ヶ(が)丘」は雨後の筍のように急増する。自由ヶ丘(自由が丘)の地名だけをとっても、昭和30年代から平成にかけて帯広市、青森市、弘前市、仙台市、いわき市、水戸市、つくば市、あわら市、名古屋市、鈴鹿市、河内長野市、大阪府熊取町、防府市、宿毛市、北九州市、宗像市、鹿児島市(いずれも現市町名)と全国各地に広まった。

差別化したつもりのブランド地名の神通力も、全国遍く行き渡ってしまうと徐々に飽きられるのは世の常である。自由が丘や田園調布、芦屋の六麓荘町など本家のブランド力は減退しないにしても、新規に開発する宅地の命名には新しいセンスが求められる。○○ヶ丘の次は○○台、そして○○野、さらにもっと斬新なものへ。新しい街とその「ゲートウェイ」たる駅の命名にあたって担当者は知恵を絞り、また新たな傾向の地名・駅名を誕生させていく。

決定時は9割以上が「変えたほうがいい」と反対

その点で「高輪ゲートウェイ」はこれまで挙げた多くの地名・駅名の路線に連なる典型で驚きはないが、2018年12月の発表以来、ネット空間では実に評判が悪い。報道直後のネットでのアンケートでは「名前を変えた方がいい」という意見が実に95.8パーセントを占めたという。大学生の長女の第一印象も「ダサい」であった。地名・駅名に造詣の深い漫画家・エッセイストの能町みね子さんがこの駅名の撤回を求める署名運動(現在は終了)をネット上で展開したところ、賛同する人の署名は短期間にもかかわらず4万7942人に及んだ。

縷々るる挙げてきた今風の地名・駅名は、そもそも誰の意思によって決定されているか明確でないケースが大半のようだが、最終決定したのが会社や役所の幹部の「おじさんたち」であることはおそらく間違いない。要するに私の前後の世代であるが、トレンドに遅れてはならないとの強迫観念は強く、「新しいモノを立ち上げる時には新しい造語」を長い生活の中で骨肉化させてきている。浮かび上がるのは、いわば「ナウなヤングのフィーリング」に追い付こうとする姿だ。