2020年春に山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」(東京都港区)が誕生する。駅名はひろく公募されたが、JR東日本は人気順位でダントツ1位だった「高輪」を採用せず、130位だった「高輪ゲートウェイ」とした。なぜそんなことになったのか。地図研究家の今尾恵介氏が解説する——。
※本稿は、今尾恵介『地名崩壊』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
ダントツ1位だったのは「高輪駅」だった
山手線が走る線路(東海道線)に約半世紀ぶりの新駅ができるということで、駅としては珍しいほど大きな話題になった。駅名の決定に際してはJR東日本が広く一般から公募、平成30(2018)年6月5~30日の募集期間中に集まった駅名案は6万4052件(1万3228種類)にものぼっている。駅の場所は広大な車両基地の跡地再開発地区で、都心部に9.5ヘクタールというまとまった土地は今後まず出現しそうもない。
そして締切から半年後、同年12月4日に発表されたのは「高輪ゲートウェイ」であった。公募でダントツ1位だったのは「高輪駅」の8398件、2位が「芝浦駅」で4265件、以下は芝浜、新品川、泉岳寺、新高輪、港南などが続いている。
「高輪ゲートウェイ」は130位の36件であったことから、これでは公募にした意味がないという批判も集まっているようだが、最初からJR東日本も「多数決で決める」とは言っておらず、そもそも民間企業の施設名なのだから、第一義的に命名権が同社にあるのは間違いない。
参考までに新駅予定地は港区港南二丁目で、町名は昭和40(1965)年に命名された新しいもの。それ以前は芝高浜町、芝海岸通その他であった。芝が目立つが、これは「旧芝区内」であった履歴を示すに過ぎず、大正初期まではすべて海面であった。駅予定地に最も近い陸地の現住所は高輪二丁目である。