高度経済成長期に経営手腕は問われない
そのとき、日本の経験がアナロジーとして使えるかもしれません。戦後の日本では、財閥解体がありました。岩崎弥太郎や渋沢栄一をルーツとする三菱や三井、あるいは住友は、資本のオーナーシップという意味での財閥ではなくなり、個別の事業会社に変わりました。三菱商事や三井物産という事業集団は残りましたが、戦前のように金融資本が横に全部並ぶ関係ではなくなったわけです。
そして、戦後復興と高度成長期を迎えます。そこでは大きな帆船が目立ちます。とても強い追い風が吹いているので、いいタイミングといい場所で、強いマストにでかい帆を上げれば、大きな船がものすごい勢いで進んでいきます。高度成長期の日本の企業は、そういう姿をしていました。皆が同じ風に乗って同じ方向へ進んでいくのですから、かじ取りの巧拙は問われませんでした。
テンセントは巨大帆船からクルーザーの集合体に脱皮できるか
現在の日本の優れた企業は、クルーザーです。売り上げや株の時価総額は、現在のテンセントやアリババのような何十兆円という規模ではありません。規模は小さくても、推進力があるエンジンを搭載している、1000億円とか100億円の売り上げでもしっかりと稼げる会社の層の厚みが、成熟した経済の質を決めます。
時価総額が経済活動のクオリティーを決めるのであれば、テンセントやアリババやグーグルも、石油が湧いて出るサウジアラビアに太刀打ちできません。ではサウジアラビアの経営力が抜群かといえば、誰もそうは思わないはずです。
もちろん中国について、日本と同じ答えは出せません。しかし、財閥解体が外的な変化、つまり政治体制の変革によって起こり、その後に高度成長を遂げた日本の姿に重ねて考えると、見えてくる風景があるかもしれません。