JRの誕生でサービスが見直されるように
一方、鉄道会社もバブル期、満員電車と遠距離通勤にあぐらをかいていたわけではない。山手線内の土地でアメリカ合衆国の全土が買えるとまで言われた異常な地価高騰で、鉄道の輸送力増強、新線建設はペースダウン。その一方、鉄道利用者は増えるばかりで、身動きが取れずにいた。
量を満たせないのならば、せめて質だけでも、というわけではないだろうが、この頃、鉄道事業者は大きな転換点を迎えていた。そのシンボルとなったのが国鉄民営化である。
1987年にJRが発足すると、駅員のイメージは一新され、ニーズに応えたサービスの展開、駅や車両のリニューアルなど、長年停滞していた取り組みが一気に活性化する。国鉄民営化の「成功」が認知されるにつれ、「JRができるのだから」「国鉄でも変われたのだから」と、鉄道各社の事業に求められるサービス水準は高まっていった。
営団地下鉄も将来的な民営化に向けてサービス向上と増収の取り組みを強化し、テレホンセンターの設置、きっぷ購入時に使用できるプリペイドカード「メトロカード」の発行、回数券の発駅フリー化、車内冷房開始、駅構内店舗開発などに着手した。
同時に現場の意識改革を目的として、駅単位のサービス改善運動を開始している。実はここに根津メトロ文庫誕生の原点があったのだ。
駅員のサークル活動で生まれた
サービス改善運動は駅ごとに「販売促進」や「接客」「放送」などをテーマにした駅員のサークル活動で行われた。根津駅でも、1988年に発売したメトロカードの販売促進を目的として、駅員が廃材のテーブルの天板を切り抜き、周囲に板を貼った「販売ボックス」を作っている。
ところが、自動販売機の高性能化が進み、券売機でメトロカードを発券できるようになると、せっかくつくった販売ボックスは倉庫の片隅に追いやられ、お役御免となってしまう。
一方その頃、営団地下鉄で注目を集めていたのが、駅構内の快適性を向上させる「構内美化」サークルだった。駅構内に水槽や花を飾ったり、ベンチを設置したり、ちょっとした変化でも利用者に評判となった。
その中でも特に話題を集めたのが、四谷三丁目駅が始めた、本の無料貸し出しサービスだった。通勤のお供の文庫本が無料で借りられる。現代風にいえば、車内に無料Wi-Fiが整備されるような衝撃だろうか。
ここに目をつけたのが、販売ボックスの再利用を考えていた、根津駅の構内美化サークルのメンバーであった。彼は販売ボックスを電車型の書棚に改造することを思いつく。こうして誕生したのが、根津メトロ文庫であった。