不景気に合わせるように本は減っていき……
しかし、突然消えるからバブル(泡)と言われるように、平成バブルはあっけなく崩壊した。誰の目にも不景気が明らかとなった1995年以降、根津メトロ文庫がニュースで取り上げられるのは決まって「本が返ってこない」「存続の危機」という暗い話題ばかりになる。
1995年3月7日付の読売新聞(都内版)には、不景気に合わせるように本の寄贈者が減り、逆に本を返さない人は増加したという時代の変化と、人気の新刊シリーズが並ぶと十数冊がそっくり消えてしまうというお寒い現状が伝えられている。多くの駅では、本の返却率は5~10%程度だったという(根津でも50%程度)。
ただし「メトロ文庫」のピークは、1999年ごろの27駅と言われており、必ずしもバブル崩壊後、一気に衰退したわけではない。景気の悪化で混雑率は減少に転じたものの、地価はすぐには下がらず、遠距離通勤化の傾向はしばらく変わらなかったからだ。出版業界でも、90年代半ばに再び「文庫本ブーム」が起きている。バブル経済を背景に誕生したメトロ文庫であるが、バブル崩壊が衰退の直接的な原因とも言い難いだろう。
書棚が古くなり、「都心回帰」で通勤時間も変わった
メトロ文庫の撤去が加速するのは2004年以降のことである。東京メトロによれば2007年には最盛期の半分となる14駅まで減っている。その要因はさまざまだ。寄贈の減少と返却率の低下が限界を突破し、メトロ文庫の仕組み自体が成り立たなくなった駅は多い。
また設置から10~15年が経過し、書棚の老朽化が進んでいたことも挙げられる。根津メトロ文庫の大型の書棚は例外で、多くの駅では普通の本棚を使っていた。2004年に念願の民営化を果たした営団地下鉄が、イメージアップの一環として古い書棚の撤去を進めたという側面もあるだろう。
2000年代に入って、通勤を巡る環境が大きく変化したという点も欠かせない。バブル期の「ドーナツ化現象」は「都心回帰」へと反転し、職住近接が進展した。携帯電話の普及により、車内の暇つぶしは紙媒体からデジタルコンテンツに移行し始めた。
時代の生き証人として保存できないか
決定的だったのは、2012年以降のスマートフォンの爆発的な普及と、地下鉄トンネル内の携帯エリア化ではなかっただろうか。通勤・通学のお供は文庫本からスマホに変わっていく。2013年にはメトロ文庫設置駅は5駅まで減少し、2019年11月1日現在、残るは根津駅と本駒込駅だけとなった。
こうして振り返ってみると、メトロ文庫は平成に合わせるかのように誕生し、平成の折り返し頃にピークを迎え、平成の終わりとともに消えていくようだ。そうであれば、これはやはり時代の変化だったとしか言えないのではないだろうか。
ひとつだけ願うとすれば、根津メトロ文庫の電車型書棚は、営団地下鉄の民営化に向けた努力の足跡として、そしてバブル期の過酷な通勤環境を語り継ぐ生き証人として、地下鉄博物館など、しかるべき施設で保存・展示してほしい。それが、過ぎ去った時代に対する、せめてものはなむけではないだろうか。