かつての京浜東北線の混雑率は驚異の272%

国土交通省は毎年、都市部通勤路線の混雑率を公表している。混雑率100%は定員乗車(着席する座席定員と手すりやつり革につかまって乗車する立席定員の合計)の状態。日本一の混雑路線として知られる東京メトロ東西線(木場―門前仲町)の2018年度の混雑率は199%だが、これは定員のおよそ倍の乗客が乗車していることになる。

しかし、数字だけではどれくらいの混雑か実感が湧きにくい。そこで

「混雑率150% 肩が触れ合う程度で、新聞は楽に読める」
「混雑率180% 体が触れ合うが、新聞は読める」
「混雑率200% 相当な圧迫感があるが、週刊誌なら何とか読める」
「混雑率250% 身動きできず、手も動かせない」

などの目安も示されている。

なぜ基準が新聞や週刊誌なのか、今ではかえって想像しづらいかもしれない。しかしインターネットや携帯電話がなかった時代、乗車中の暇をつぶすには、車窓や中吊り広告を眺めるか、新聞や週刊誌を読む以外に選択肢はない。読書できる程度の混雑かどうかは、利用者にとって重要な指標のひとつだったのだ。

この混雑率が鉄道整備計画の目標値として掲げられるようになったのは1992年のことである。せめて新聞を読みながら通勤できるゆとりが欲しいということから、平均混雑率の目標は「150%(東京圏は当面180%)」に設定された。

ちなみに2018年度の東京圏の平均混雑率は163%。前述の東西線やJR横須賀線、JR総武線(各駅停車)など、依然として混雑率200%に迫る路線は残っているものの、おおむね目標値に近づきつつある状況だ。

ではバブル期の混雑がどれほどのものかというと、1988年の東京圏の平均混雑率は205%。京浜東北線は272%、中央線(快速)は261%にも達していた。

土地が高すぎて「片道2時間通勤」も当たり前

なぜこんなに電車が混んでいたかというと、1995年をピークとする生産年齢人口の増加と、バブル経済による就労者の増加により、1980年から1990年にかけて東京への通勤・通学者数は22%も増加したからだ。それまで混雑率は、1960年代の平均250%、1970年代の平均220%から改善傾向にあったが、1987~90年は例外的に混雑率が悪化した時期だった。

筆者撮影
書棚の内部。歴史小説からライトノベル、ビジネス書まで幅広くそろえている

加えてバブル期に進行したのが「遠距離通勤化」であった。東京圏の住宅地1平方メートルあたりの平均価格は、1985年から1990年の5年間で3倍に高騰。一般的なサラリーマンが都心近郊に住まいを建てることは困難になってしまった。

1991年3月26日付の朝日新聞は「マイホームはどこまで遠くへ 通勤はもう“旅行”」の見出しで、現実的に手が届く土地は都心から50~60キロ圏内、片道2時間以上の新興住宅地に限られつつある状況を紹介している。週刊誌を読むこともままならない満員電車、しかも長距離通勤を余儀なくされたサラリーマンは、週刊誌よりも小さい文庫本をお供に家と職場を往復した。

社会全体が一定の豊かさを達成した後に、人々が求めたのは「生活の質」であった。しかし豊かになっても、住まいも通勤も一向に余裕が生まれない。バブル経済とは、行き場を失った矛盾や鬱屈が消費に流れ込んだことで発生した、時代のあだ花だったのである。