日系ブラジル人に支えられている東海地方の現実

展示中止になってしまったタニア・ブルゲラの「10150051」も難民を題材としており、しかも人にナンバーをふるという仕組みがナチスドイツと当時高度な情報処理を実現したIBMとの協働に由来していることから、科学技術による人権侵害を想起させるものである。科学技術先進地である名古屋において、ぜひともこの作品は見てみたかったのだが、展示中止になってしまったことは残念で仕方がない。

これら国籍や国境を意識させる作品が、愛知県で展示されることは特別な意義がある。もう少し一般化して述べると、美術作品については、実は「何を見るか」というだけでなく、「どこで見るか」ということも重要な要素となる。

愛知県は製造業が集積した都市を多く抱えているが、バブル期以降、製造業を担う労働力が不足し、国も産業界もその解決をブラジルの日系人に求めた。それ故、愛知県のブラジル人居住率は相対的に高く、全国でも3番目にランクしている。隣接する浜松市も含めれば、東海地方の工業が日系ブラジル人に支えられている現実も見えてくる。

Photo: Ito Tetsuo
あいちトリエンナーレ2019の展示風景。青木美紅《1996》 2019

こうした事実を鑑みたとき、国籍や民族について苦しんでいる立場から描かれた美術作品に触れることは地域における連帯を強めることになる。今回のあいちトリエンナーレでは、数多くの作品が展示中止となってしまったが、個人的にもっとも残念であったのはレジーナ・ホセ・ガリンドの「LA FIESTA #latinosinjapan」が見られなかったことである。この作品は、名古屋在住でラテンのルーツを持つ人々のパーティの様子を描いたものであったそうで、公的な芸術祭でマイノリティの日常が紹介される意味は大きかったであろうと推察される。

国際芸術祭としては客観的にみて「成功」とはいえない

主権国家体制は19世紀の後半以降、高度化した資本主義システムの中で国家同士がしのぎを削る帝国主義の段階を迎えることになる。これ以降に起きた戦争は、専業の兵士のみが担うのではなく、一般市民も否応なく巻き込まれる総力戦となり、多くの生命が失われることに加えて、国土も人心も荒廃していく。

あいちトリエンナーレにおいて戦争を扱った作品としては、先述の「ドローンの影」に加え、こちらもドローンによる撮影技術によって戦争を考えさせようとする袁廣鳴(ユェン・グァンミン)の「日常演習」が心に刺さった。また近年の戦争においては少年兵の役割が大きくなっており、予定ではパク・チャンキョンが「チャイルド・ソルジャー」なる作品によって問題をあらわにしていたはずであるが、これも展示中止になってしまった。

帝国主義政策の下、植民地になった地域は、本国からの収奪を受けるわけであるが、バルテレミ・トグォの「アフリカ:西欧のゴミ箱」は、廃棄物が植民地に押し付けられてきたことを告発するかのようなインスタレーションとなっている。宗主国による文化財の略奪についても、クラウディア・マルティネス・ガライが「・・・でも、あなたは私のものと一緒にいられる・・・」によって表現していたようだが、こちらも展示中止になってしまった。

こうしてみると、素晴らしいコンセプトの下で集められた多くの美術作品が日の目を見ない状況となっており、国際芸術祭としては客観的に見て成功とはいいがたい。