「実名報道は必要」と強調するだけでは説得力がない
「京都府警が2日、亡くなった35人のうち、遺族側の了解が得られたとして、10人の身元を公表した」と書き出すのは、8月4日付の産経新聞の社説(主張)である。産経社説はこう主張する。
「突然の凄惨な事件である。遺族や関係者に実名の公表を躊躇する思いがあることは十分に理解できる。それでも、実名の公表、報道は必要であると考える」
「過去の事件、事故でも、産経新聞をはじめとする報道機関は、警察や自治体に被害者、被災者らの実名の公表を求めてきた。実名は真実を追究する取材の出発点であり、原点であるからだ」
「加えて可能な限り、実名による報道を心がけてきた。実名は記号や数字ではなく、一人一人の人間が生きてきた証しとしての重みを持つ。事件、事故の実相を伝えるために、実名による報道は不可欠である。匿名報道による感情の希薄化を恐れる意味もある」
産経の主張はいずれも正論だとは思う。だが、ここまで強く主張すると、むしろ読者の反発を招くのではないか。
主見出しにしても「被害者の実名『真実』の追究に不可欠だ」と強烈である。そこが産経社説らしさなのだが、裏を返せば「俺の言うことを聞け」という上から目線にもみえる。
新聞にこそSNSで飛び交う批判に応えてほしい
読売新聞(8月18日付)の社説も、後半部分で「それでも、実名で報道することには大きな意義がある」と訴えている。続いてこう指摘する。
「被害者がどんな人生を歩み、どんな思いを断ち切られたのか。残された人がどれほどの悲しみと苦しみ、怒りを抱いているのか。実名だからこそ、事実の重みを伝え、社会で共有することができる」
この読売社説の主張も「実名だからこそ」という言い回しの強さに、反発を招く読者もいるだろう。メディアスクラムを起こしてきたことへの反省が読み取れない。読売社説はこうも指摘する。
「家族や知人の安否を気遣う人に正しい情報を伝えられる。匿名ではインターネット上の流言飛語の拡散に歯止めをかけられない」
SNSの書き込みは匿名が多い。匿名ゆえに根拠のない非難の言葉もある。その結果、流言飛語が拡散する。たしかにそうしたデマを食い止めるためには、報道機関の役割は大きい。だからこそSNSなどで飛び交う批判に応える形で、実名報道の意義を訴えてほしかった。