メディアスクラムの根絶は、取材する側の義務

結局のところ、匿名では「本当は誰なのか」というのがわからなくなってしまう。仮に実名報道が否定され、匿名化が進むと、私たちの社会から信頼できる正確な情報が消えてしまう。その結果、困るのは私たち自身ではないか。個人の情報が守られる一方、誰も信じられないということになる。

実名報道への批判が集まったのは、メディアスクラムによる2次被害の問題が大きいはずだ。メディアスクラムをなくすことは、取材する側の義務だろう。

京アニ事件の報道では、京都府警記者クラブに所属する報道各社が、遺族の意向を尊重することや、代表取材として取材の機会を絞ることを事前に決めていた。この結果、2度目の実名発表(8月27日)後は代表取材となり、メディアスクラムを防ぐことができたようだ。

「世界最悪の航空事故」では被害者の氏名をどう報じたか

実名報道の重要さは、その記録性や歴史的価値からも考えるべきだろう。

1985年8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故では、報道各社が死者520人と奇跡的に助かった4人全員の氏名、年齢、顔写真、旅行の目的などを一覧表にまとめて報じた。

事故から34年がたったいまも、毎年8月12日が近づくと「空の安全」の誓いを新たにする記事や番組が組まれるている。世界最悪の航空事故という重大さもあるが、これが匿名のままであればその後の報道はどうだっただろうか。

たとえば、手元にある『日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時』(朝日新聞社会部編、朝日文庫、1990年8月20日発行)の「乗客名簿」(あいうえお順)の節には、事故の遺族で作る「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子さん(72)の次男、健ちゃんについてこう記されている。

「美谷島健(九つ)=小学3年生、東京都大田区南久が原。夏休みで大阪のおじさん宅へ遊びに行く途中」

美谷島さんは健ちゃんに甲子園大会を観戦させてあげようと、ジャンボ機に乗せた。テレビのドキュメンタリー番組では、美谷島さんが「なぜひとりで乗せてしまったのだろうか」と悔やみ、「羽田空港であのときつないだ健の手のぬくもりがいまもここにある」と答える様子がたびたび放送されている。

これが「Aさんの次男、Bちゃん」だったら、事故の悲劇を今日まで語り継ぐことができただろうか。