なぜ多くの人が「家族団らん」をイメージするのか
その時期が過ぎ、1983年に出版された足立己幸(みゆき)氏の『なぜひとりで食べるの』という本の中で「孤食」という言葉が使われました。1980年代前半には、孤食が社会問題となり、1980年代後半には家庭科教科書に孤食へ対する注意喚起が記されました。2000年前後は、家族で一緒に食事すべきという考えが、強迫観念的なものとして捉えられる時期でした。
食卓での家族団らんが、家庭の常識として成立していたのは、高度経済成長期にあたる1955~1975年の20年間ほどでした。家族団らんは、それ以降の日本社会の“進化”の過程で、変わらずに生き残ってきたとはいえません。しかし今もなお、多くの人の心の中に、ロールモデルのような家族団らんのイメージが生き続けているのはなぜなのでしょうか。
子供の「欠食」に気づかない親が増えた
家庭での食事は、基本的には家庭ごとに非公開で行われるものです。他の家庭の食事の全貌は、当事者たちが自ら公表しない限り、通常は明らかになる機会はありません。その“密室の行為”であった家庭の食が、ある本によって明るみに出て、世間に大きな衝撃が走ったことがありました。
2003年に出版された、岩村暢子(のぶこ)氏の『変わる家族 変わる食卓』は、食マーケティングの目的で各家庭の1週間の食事、計2000以上の食卓の写真を収集、分析しました。
その結果、親も子もそれぞれの食べたい時間に食べたいものを別々に食べることが増えたこと、また、子どもに嫌いな野菜を「食べてもらう」ために、擦り込んだり混ぜ込んだりする親が減り、栄養バランスに関係なく子どもの好きなものだけを食べさせたり、欠食に気づかない親が増えたことがわかりました。
また、過去と比べて、外食へ連れて行く父母世代も減り、話題の店や新商品をチェックする熱意も低下しています。その背景として、家族や社会の変容があるのではという指摘がなされています。
社会や環境の変化によって、日本の家族が、団らんを必要としない、あるいはできない生活形態になったのでしょう。それにもかかわらず、家族団らんが理想の姿のように扱われるのは、高度経済成長期の“古き良き日本の思い出”が作り出したイメージにも感じられます。