ほとんどのお客さんは、青森屋を選んだ時点で青森という地域に興味があると考えれば、喜んでもらえるのは標準化された西洋ホテルのサービスよりも、接客は津軽弁で、夕食後には従業員とお客さんがみちのくよさこい踊りを一緒に踊れるほうだと私は思います。

15年に運営を開始したロテルド比叡では、その立地から京都と滋賀両方のいいところを取り入れるという、当初支配人が持っていたコンセプトを一蹴し、滋賀だけを前面に打ち出しました。京都らしさを謳うホテルや旅館は中心部にたくさんあります。だったら滋賀に絞ったほうが、従業員だって力が入るはずです。

実際、ホテル内のフレンチレストランで滋賀の名物である鮒ずしをはじめ、地元の食材を使ったメニューを開発し、土産物にも延暦寺や日吉大社の厄除けグッズなど、滋賀ならではのアイテムを揃えたところ、客単価は倍以上に上がりました。

価値を理解し期待に応える

17年にはインドネシアのバリ島に星のやバリをオープンし、星のやブランドでは初の海外進出を果たしました。私がここでやりたかったのは日本旅館。でもそれはハードのことではありません。長年日本で培ってきた日本旅館らしさのことです。

星野社長は米国留学時の経験が、自身の教養に対する考えを深めるきっかけになった。そして、その考えをもとにして、「日本旅館メソッド」で世界に打って出ようとしている。

なので、星のやバリのプールサイドでは、プエルトリコ発祥のカクテル「ピニャ・コラーダ」は飲めません。その代わり、現地で暮らすスタッフが、バリを訪れたお客さんにはぜひこれを味わってほしいという飲み物を用意しています。フォーシーズンズと同じサービスは期待できないかもしれませんが、バリの文化や歴史を肌で感じることはできます。

私はこうした「日本旅館メソッド」こそが、真の教養に裏打ちされ、私たちの最大の価値を世界中から求められる形で表現したものだと思います。かつては東京でも上海でも、アメリカと同じようなベッドに安心して寝られて、いつもと同じサービスが受けられる、このアメリカがつくった西洋ホテルのスタンダリゼーションがホテルの最大の価値でした。

しかし、世界が標準化し、その価値は以前ほど高くありません。いま求められているのは、その場所でしか手に入らない体験です。日本旅館メソッドは、そんなニーズに確実に応えられるはずです。

それを証明するため、16年に東京・大手町に星のや東京を開業しました。エントランスで靴を脱ぎ、竹を編んだ靴箱に入れると、お客さんはその瞬間から日本という異空間に入り込みます。天然温泉、越前和紙の壁など、東京の真ん中で日本の美と伝統を心ゆくまで体験できます。

高級ホテルがひしめく東京で、日本旅館メソッドが受け入れられたら、それは世界で通用する商品であり、また教養に対する私の考えも正しかったことになります。

星野佳路(ほしの・よしはる)
星野リゾート社長
1960年、長野県生まれ。83年、慶應義塾大学経済学部卒業後、米国コーネル大学ホテル経営大学院へ留学。91年、現職に就任。「星のや」「界」「リゾナーレ」の3つのブランドを中心にホテル・リゾート施設を展開。
(構成=山口雅之 撮影=石橋素幸)
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