外国人のハートを掴む、日本文化の極め方

曽祖父が1914年に開業した星野温泉旅館は、中軽井沢という土地柄もあって、北原白秋や与謝野晶子といった文化人にも親しまれていました。そんな環境に生まれ育ったにもかかわらず、家族から教養を身につけろといわれた記憶はありません。

星野リゾート社長 星野佳路氏

教養らしきものを最初に意識したのは、米コーネル大学ホテル経営大学院における最初のレセプションのときです。いつもはTシャツとジーンズというラフな格好で授業を受けていましたが、これには学生も正装で参加すると聞き、その日はスーツで登校しました。

ところが、会場に入ると、私以外の留学生は誰もが自分の国の伝統的な衣装を纏っているではありませんか。自国の文化に誇りを持っているならそれが当たり前なのに、日本人の私だけが、正装は西洋文化を真似ることだと思い込んでいました。クラスに日本人は私ひとりでしたから、みな日本人の正装を目の当たりにするのを私に期待していたのに、それを裏切ってしまったのです。

同じようなことは、大学院修了後にシカゴで就職してホテル開発をやっているときにも経験しました。まだバブル景気の真っ最中で、日本のホテル運営会社が続々と海外に進出を始めたものの、そのほとんどが数年で撤退を余儀なくされていました。

このとき私は現地のジャーナリストから、どうして日本はアメリカに来て西洋ホテルをやろうとするのかと質問されたことがあります。西洋ホテルならマリオットやハイアットやヒルトンがすでにあるのに、わざわざ日本から同じことをやりにくる理由がわからないというのです。

それはそうです。インド人が日本で店を出すといったら、どんなに彼が日本のことをよく知っているといっても、私たちが期待するのはやっぱり本場のカレー屋であって、決してすし屋ではありません。

ましてや世界の人たちは、日本には長い歴史と洗練された文化があることを知っているのですから、それらを踏まえたソフトやハードを提供すべきなのです。

ホテルの再生に真の教養を活用

一方、自分たちらしさや、自分たちの価値は何かがわかっていないと、相手の期待に応えることはできません。そういう意味では、歴史、伝統、文化、生活といった自分たちのバックグラウンドを熟知し、それを相手が求める形で表現できることが、真の教養だとはいえないでしょうか。

アメリカで体験したこれら一連の出来事は、後に日本に戻って星野温泉の社長に就任し、日本各地の温泉旅館やリゾートホテルを再生していく際の、私の基本的な考え方のベースにもなっています。それは、地域をよく知り、その個性を経営に活かすのが成功の秘訣だということです。

2005年から当社が運営している青森県三沢市の古牧温泉青森屋では、従業員が全員津軽弁で接客します。ご存じのように津軽弁というのは方言の中でも特に難解で、何を言っているのか私でもよくわからず、理解しにくい部分があります。でも、お客さんにしてみれば、そういう独特の言葉でもてなされることで、青森の生の文化に触れたという喜びを感じることができるのです。