金と暴力による選挙違反が当たり前だった明治の政治

男気にあふれる「義」の人である犬養、その傍らでさまざまな調整役として奔走する古島。この2人の歩みを通すことで、堀川さんには何が見えたのか。

西南戦争の従軍記者時代から始まる犬養の生涯は、日本における最初の立憲政治の成立とその挫折と軌を一にしている。

明治22年の大日本帝国憲法の公布、翌年の日本初の選挙、大正14年の普通選挙法の成立……。そして、昭和7年の5.15事件によって政党政治が終わり、軍部の台頭によって戦争の時代へとなだれ込んでいく。

そんななか、堀川さんが本書で丁寧に再現していくのは、議会政治や選挙というものが日本に根付く前の原風景である。

馬糞を議場で投げ合い、仕込み杖で武装して帰宅する

選挙では「選挙干渉」による死者が全国で生じ、金と暴力による選挙違反も大手を振って横行した。犬養も2度、活動家から暴行を受けて流血沙汰になっている。また、明治23年12月2日に始まる帝国議会の第一回議会での予算案の攻防を、堀川さんは次のように描写している。

 もともと薩長藩閥は、最初から政党の存在を認めていない。端(はな)から議員の意見を拒絶しようという態度を隠そうともしなかった。
 民党と吏党、それぞれが雇った壮士も絡んで、議場は殺気立っていく。傍聴席に陣取る壮士たちは反対派の演説を騒いで妨害するのみならず、馬糞を紙に包んでは議場に盛んに投げ込んだ。馬糞の攻撃に、議員が「ひゃっ」と悲鳴をあげる。馬糞が着弾して紙から飛び出すと、ものすごい臭いが広がった。
 院内の廊下に用意された帽子掛けの下には、多くの議員が仕込み杖(杖の中に刀剣を忍ばせたもの)を用意した。反対派の壮士に反撃するための武器だ。うっかり一人で帰ろうものなら人力車を襲われ、引きずり出されて殴られた。開会中に負傷者が相次ぎ、議院の前には個人個人の抱える壮士がたむろし、用心棒として家まで送るようになった。
 これがわが国最初の「言論の府」の風景である。

堀川さんはこう話す。

「当時の様子を想像すると、日本人が自分たちなりの議会制民主主義を、どうにか切磋琢磨して作ろうとしていた時代があったんだな、という感想を抱きます。その渦中にいた若い犬養にとって、明治という時代は青春そのものだったと思います」