批判に一切弁解しない「カッコよすぎる」姿勢の真相
犬養の残した実際の手紙などの資料を読むうちに、堀川さんは次のような思いに駆られたと話す。
「犬養というのは、実にカッコいい政治家なんです。凄まじい誹謗中傷を受けても決して反論せず、どんなに困難な状況に立たされも決して弱音を吐かない。それが人としての美徳なのだ、と。政治家として『男気』としか言いようのない気概を持っており、夫がこの人物にほれた理由がとてもよく分かる気がしました」
犬養は「木堂」という号を名乗った。これは論語の「剛毅朴訥近仁」を由来とするもので、〈意志が強く、飾り気がなくて口数が少ないのは道徳の理想とする仁に近い。仁、すなわち自己抑制と他者への思いやり。「木堂」の号を身にまとうことにした犬養は、そんな風に生きたいと思った〉と堀川さんは書いている。
ただ――と彼女は続けるのである。
「こうした犬養の姿は、私にはいささかカッコよすぎた。従来の資料から見えてくる犬養像には人間臭さが希薄で、なぜそこまでの批判に対して弁解の一つもしないのか、と理解し切れないものがあった。だから、当初はとっつきにくさを感じましたね」
犬養の「カッコいい男気」が「やせ我慢」に見えてきた
「このままでは私の物語にはならない」と思った堀川さんは、犬養の側近だった一人の政治家に注目した。
「一人の人物の評伝を描くためには、書き手の側にそのための動機と覚悟、エネルギーが必要です。私は夫の仕事を引き継ぐに当たって、犬養と自分とをつなぐ何かが必要だと強く感じました。その中で出会ったのが、犬養の側近として影武者のように傍らにいて、戦後も吉田茂のブレーンとなった古島一雄という一人の政治家でした」
古島は一般的にはほとんど知られていない政治家で、資料も評伝としてまとまったものはなかった。ところが、いくつかの資料や聞き書きの回想録を手に取ってみると、「これまでとは違う犬養像が広がってきた」のだという。
「犬養は確かに男気にあふれ、分かりやすい程にカッコいい。でも、それが古島の目を通すと、その男気がやせ我慢に見えてきたり、曲げるべきところを曲げられない頑固さに映ったりする。この2人を主人公にすれば、新しい犬養像を提示できるのではないかと直感したんです」