伊藤博文にも絶賛されたという「政論集」の中身

政党政治を日本に根付かせようと奔走する犬養の原点として、堀川さんは彼が28歳のときに書いた政論集『政海之燈台』をあげる。

〈統治は『面白くもない算盤珠』だ。政党含めその他の者は、その中身を評価できさえすればよい。行政機関の仕事は政争の外に置き、政党は内閣に対して言論で対峙すべきだ。

政府の側も、『探偵』や『中止』という手段で集会演説を弾圧しているが、それが却って意志ある者たちを激高させている。言論の自由を拡大し、発言の機会を与えれば暴動は起きない。政治的な争いは『秘密の手段』ではなく『公然の手段』を用いて、正々堂々と言論を以て解決すべきである〉

伊藤博文にも絶賛されたというこの政論集で、犬養は政論を樹木にたとえ、その根本に「愛国心」を据えた上で、「国家」と「政府」を区別する考え方を述べている。

ノンフィクション作家の堀川惠子さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

「ダメな政府」であれば、愛国者として倒閣する

「このように国家と政府を峻別する考え方をしていた政治家は、現代の政治にも欠けている視点ではないでしょうか。立憲政治の実現を目指す犬養にとって、国家の根っこを支えるのは常に国民でした。その根が養分をしっかりと吸って成長していくためには、『政府=何でもしてもいい』ではダメで、場合によっては倒閣の対象にもなる。それが真の愛国と考えるのが犬養の思想であり、保守やリベラルといった二項対立では決してとらえきれない。これまで犬養という政治家が研究対象になってこなかったのは、その行動の複雑さも理由の一つだったはずです」

明治時代の議会が馬糞を投げ合っていたように、実際の政治では人間の欲望や感情がぶつかり合う。その渦中で闘う犬養のよりどころは、「ノブレス・オブリージュ」という言葉に尽きると堀川さんは言う。

「犬養に限らず、明治の政治家について調べていると、『政治を司る人間は良き人間でなければらならない』という信念を感じさせる人が多い。権力闘争や利益誘導などは今も昔も変わりません。しかし、当時の人たちは漢籍をよく読んでいましたから、そこから凝縮されたエキス、例えば『徳』や『義』といった言葉を感じさせる。議会ではとことんやり合うけれど、『ここは外してはならない』というボトムラインを感じるんですね。人間が生きていく上で外してならない部分、そして、政治家として最低限の倫理が彼らにはあったのだと思います」