朝鮮半島にも伝わる「盗っ人たけだけしい」
今年2月、韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が「日本は盗っ人たけだけしい」と発言したことが大問題となった。
文国会議長は、先に慰安婦問題について「天皇陛下が謝罪すれば解消される」などと発言。この発言に日本政府が謝罪と撤回を求めたことに対し、「謝罪すべき側がせず、私に謝罪を求めているのは盗っ人たけだけしい」「(謝罪すべきは)現職の首相が1番目で、2番目が天皇になる」と反発したのだ。
いわば首相や天皇陛下を「盗っ人」呼ばわりしたも同然である。日本政府には同議長の非礼な発言を忘れず、何度でも謝罪と撤回を求めていただきたいと願う。と同時に、ふと気になったことがある。
「盗っ人たけだけしい」という言葉は、韓国にあるのだろうか――。
そう思って調べたら「賊反荷杖(チョクバンハジャン)」という言葉が、それに該当するそうだ(同じことが2019年1月12日付けの産経新聞「産経抄」でも述べられていた)。中国由来かと思えば、どうやら朝鮮半島にも古くからある言葉のようである。
つまりは「悪事を働いた賊が、開き直って武器(杖)を振り上げ抵抗する」という意味。日本語訳に近いとはいえ「賊」という文字から、「盗っ人」よりも強い表現に受け取れる。
2万人が600人に敗れた「応永の外寇」
朝鮮半島の人が、日本を「賊」よばわりする根拠として考えられることは何か。近代以前の歴史を紐解けば「倭寇(わこう)」の存在がある。
倭寇とは13世紀から16世紀に活動した倭人、主に日本人が行なった朝鮮半島沿岸での海賊行為を意味する言葉だ。「倭」は「魏志倭人伝」でも有名な、中国発祥の日本の蔑称である。
実際は日本人だけでなく、高麗(朝鮮)人も混ざっていたし、中国人の海賊も多かった。当時の東アジアには国籍の概念は存在しないから、日本列島の人であろうが、大陸や半島に住む人であろうが、明確に区別されなかったのである。
ただ、倭寇の活動は「盗っ人」という生易しいものではない。時に戦争へと発展した。
あまり知られていないが、朝鮮は対馬を倭寇の根拠地と考え、これを攻めたことがある。1419年(室町時代の応永26年)、蒙古襲来の「元寇」から、およそ140年後のことだ。
朝鮮国王・太宗の命令で、朝鮮は2万人近い兵で対馬に上陸した。しかし、結果は600人ほどの対馬軍(日本軍)による鉄壁の守備に阻まれて敗退。甚大な被害を出し、つないでいた船も多く焼かれて大損害を被った。一説に朝鮮軍は4名の将軍と2000人以上の兵が討たれたという。これが「応永の外寇」である。