1932年5月15日、青年将校に銃を向けられた首相・犬養毅は、堂々とした態度で「話せばわかる」と言った。なぜ犬養は「話し合い」の可能性を信じていたのか。犬養の評伝『狼の義』(KADOKAWA)を書いた堀川惠子さんに聞いた――。/文・聞き手=ノンフィクション作家・稲泉連
五・一五事件=1932年5月15日(写真=akg-images/アフロ)

なぜ“軍部の言いなり”だった人が殺されたのか

1932年5月15日、総理官邸に海軍の青年将校らが押し入り、ときの首相であった犬養毅(いぬかい・つよし)を殺害した。頭部を撃たれた犬養はそれでも意識があり、テルという名の女中に、「今の若いもんをもう一度、呼んでこい。よく話して事情を聞かせる」と、言ったという。

話せばわかる――世にいう5.15事件における、犬養の最期の言葉とされてきたものだ。

ノンフィクション作家の堀川惠子さんの新刊『狼の義』(KADOKAWA)は、この犬養毅の生涯を描いた評伝である。

「日本近現代史の研究のなかで、犬養はほとんど顧みられてこなかった人物だと言えます。私にとっても最初は、名前はとても有名だけれど、実はよく知られていない人物だというイメージがありました。日本の近現代史の本では『犬養は軍部の言いなりだった』と簡単に切り捨てられることも多いのですが、では、なぜ軍部の言いなりだった人が殺されたのか。そんな疑問もありました」

2017年に他界した夫から託された仕事だった

そう語る堀川さんが犬養の評伝を書くことになったのは、共著者である夫の林新さんから託された仕事だったからだ。

林さんはNHKのプロデューサーを長くつとめ、NHKスペシャルの大型企画「ドキュメント太平洋戦争」のビルマ・インパールの回などを手掛けてきた。その彼が20年以上前から関心を抱いてきたのが犬養だった。だが2017年に病気で他界。自宅には膨大な資料が残された。

ノンフィクション作家の堀川惠子さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

「夫が犬養について本を書くと私に打ち明けたのは2007年のことでした。実際に書き始めた2017年に病状が悪化し、この仕事を私が引き継ぐのだと覚悟を決め、資料を読み始めたんです」

1855年(安政2年)生に岡山で生まれた犬養毅は、13歳で明治維新を迎えた。明治9年に慶應義塾に入り、在学中には郵便報知新聞の記者として西南戦争にも従軍。その後、大隈重信の結成した立憲改進党に入党し、大隈の懐刀として頭角を現す。

明治23年の第一回衆議院選挙に当選してからは、ほとんどの時期を野党所属の議員として、藩閥政府に抵抗し、日本に政党政治を根付かせるために力を尽くした。大正時代における憲政擁護運動や普通選挙法の実現など、「憲政の神様」とも呼ばれたことでも知られる。そして、1931年に立憲政友会の総裁として首相となった1カ月後、5.15事件で暗殺されることになる――。