また、憲法改正に消極的で、天皇主権の規定も残すことができると考えていた宮沢俊義が、憲法改正が確実となってしまった1946年半ばになると「8月革命説」を唱えて国民主権を訴えるのは興味深い。もしも本心から1945年8月のポツダム宣言受諾により天皇主権から国民主権への革命的転換が実現したと宮沢が信じていたとすれば、憲法改正においてより勇気ある提言を行うことができたはずである。むしろ「8月革命説」とは、戦前の天皇主権から戦後の国民主権へと「国体」が推移したと事後的に説明することで、彼らが連合国からの圧力によって憲法上の論理を転換したことを覆い隠す意義を持ったものというべきであろう。

国際主義者だからできた「苦肉の策」

いずれにせよ、戦後初期に、幣原首相をはじめとして多くの政治指導者が頭を悩ませたのは、いかにして国内的及び国際的な批判を排して、天皇制を維持するかということであった。当時の日本の指導者層の間では、国際主義的な考えを持つ者も含めて、皇室を中心に国民が団結しなければ日本の秩序ある再建は望めないという認識が、広く共有されていた。
戦争放棄の理念を憲法に含めることは、天皇制を維持するためのやむを得ぬ苦肉の策であったのだ。それでもなお、戦前の国際舞台での経験からそのような戦争放棄の理念に積極的な意義を見いだすところに、幣原の本領が発揮されていたといえよう。

(*1)伊藤之雄『昭和天皇伝』(文春文庫、2014年)p413。
(*2)西修『日本国憲法成立過程の研究』(成文堂、2004年)p1。
(*3)古関彰一『日本国憲法の誕生増補改訂版』(岩波現代文庫、2017年)p73。
(*4)同、p77─78。
(*5)服部龍二『増補版 幣原喜重郎─外交と民主主義』(吉田書店、2017年)p275。
(*6)同、p276。引用のカタカナはひらがなへと表記を変更している。
(*7)同、p277。
(*8)同。
(*9)同、p277─278
(*10)同、p278。
(*11)同、p279。

細谷雄一(ほそや・ゆういち)
国際政治学者
1971年、千葉県生まれ。慶應義塾大学法学部教授。立教大学法学部卒業。英国バーミンガム大学大学院国際関係学修士号取得。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。博士(法学)。北海道大学専任講師などを経て、現職。主な著書に、『戦後国際秩序とイギリス外交』(サントリー学芸賞)、『倫理的な戦争』(読売・吉野作造賞)、『外交』、『国際秩序』、『安保論争』、『迷走するイギリス』、『戦後史の解放I 歴史認識とは何か』など。
(写真=共同通信イメージズ)
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